1-3 強化トリオン兵
三門大学の学舎に緊急警報のサイレンが鳴り響いたのは、3限が終わり少し経った頃だった。
授業終わり、1階ラウンジで雑談を交わしていた嵐山と柿崎が、すぐに反応して状況確認に入る。
「門だって!? 警戒区域からだいぶ離れたこんなところで」
「追求は後にしよう、柿崎。今の時間帯は下校中の学生が大勢いる。すぐに向かうぞ」
今までにない非常事態に慌てふためく大学構内。しかし日頃から避難訓練が徹底されているだけあって、スムーズに生徒の誘導ができている。この場は職員に任せても大丈夫だ。
校門まで駆け抜けながら換装を済ませる。
赤色と橙色の隊服が、避難に走る生徒の群れを、常人にはなし得ないスピードで逆走した。
もともと非番だった嵐山だが、今日この時間に何か起こるかもしれないことは、迅によって昨日のうちに予告されていた。
ボーダーでも屈指のサイドエフェクト《未来視》を持つ彼は、良くない未来の可能性を示唆し、嵐山に大学で待機するよう依頼していた。
(迅の予知では、俺がここにいれば犠牲者が出る可能性は低いということだったが……)
現場は大通りの手前、普段は学生たちの憩いの場となっている広場だった。この目で見るまで信じられなかったが、本当にゲートが出現している。
敵は見慣れた大型が1体。管理棟のような建物が破壊されているが、幸い付近の民家や商業施設にまで被害は至っていないようだ。
「本部、こちら嵐山。警戒区域の外で、大型近界民と遭遇。同行した柿崎とともに、緊急で迎撃にあたります」
『本部、了解。すでに任務中の部隊を向かわせているわ』
中央オペレーターでなく、本部長補佐の沢村に直接内部通話が繋がった。このイレギュラーなゲート出現に、本部も対応に追われているようだ。
「おいやべえぞ嵐山、民間人が襲われてる」
「!」
柿崎の言う通り、大型近界民のすぐ前方に、逃げ遅れたであろう女性の姿があった。怪我をしているのか、右腕を押さえて地面に座り込んでいる。
状況を見るや、嵐山はすぐさま銃を出して横腹から連続砲火を浴びせた。
弾丸が装甲を叩いて炸裂する。
「く、硬いな……!」
大型は分厚い装甲に守られているが、嵐山の突撃銃も相当な火力のはずだ。距離が少し離れているとはいえ、ここまでダメージを与えられないのは、特別に硬い個体なのか。
だが民間人から注意を逸らすことには成功した。
嵐山が敵を惹きつけている隙に、柿崎が女性のもとに駆け寄る。突然抱え上げられた彼女は悲鳴を上げたが、今は敵から少しでも離すのが先決だ。
数十メートル距離を取ったところで身体を下ろし、怪我の具合を確認する。頬が擦り切れ、痛々しく血が滲んでいる。うっかり右肩に触れると、苦しそうな声が漏れた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
ひそめられた眉に、額に浮かぶ脂汗。見るからに痛そうではあるが、受け答えははっきりしている。どうやら、頭を強く打ったりはしていないようだ。
「こちら柿崎、怪我人を1名保護、誘導を……」
「あのっ、友人が!」
はっと何かを思い出したように、彼女が取り乱しながら柿崎を見上げた。
「友人が2人、あいつに飲み込まれたんです!」
悲痛に訴える声が、柿崎の通信を介して本部や嵐山の耳にも届いた。
『すぐに解析を』――本部側で慌ただしく指令が飛び交う。
『大型近界民の腹部に、人間と思われる生体反応を確認――っ、これは……!?』
「沢村さん? 何かあったんですか?」
『いえ……、本部より指令、捕獲された民間人の救出を優先します。腹部を避けて迎撃にあたってください』
何かに気づいた様子の沢村の反応は気にかかったが、下された指令遂行のため、嵐山は改めて銃を構えた。
近界民は基本的に、頭部にある目玉のような機構が弱点にあたる。周囲に建物がなくひらけたこの場所では、足場がないため、地上10メートルほどの高さにある頭に攻撃を当てるだけでも通常は困難だ。
だがA級5位の実力者である嵐山にとって、戦い慣れた大型はもはや相手ではない。柿崎には怪我人の保護を任せ、1人で近接戦へと切り込んだ。
連射で注意を惹きつけ、敵の攻撃を誘い出す。
タイミングを合わせてトリガーを起動――瞬時に、嵐山の身体は目標の真正面へと到達した。テレポーターだ。
この間合いならばまず外すことはない。
照準を合わせた突撃銃から、容赦なくフルオートで繰り出す弾丸。目標は完全に破壊できた――はずだった。
「!?」
攻撃が防がれた。
硝煙が晴れたそこには、弱点の機構を遮るようにシールドが張られていた。
攻撃をすべて受けきってなお、割れずに存在している分厚い壁。自力でシールドを張る大型近界民など、今まで記録になかったはずだ。
反撃が来る。そう直感すると同時、テレポーターを起動したことで、嵐山は敵の攻撃を間一髪で交わした。
この大型、動きも速いのか……!
攻撃が不発した近界民は、今度は嵐山を無視し、標的を入れ替えた。
「柿崎!」
柿崎は救助した民間人をその場に残し、近界民に向かって走り出していた。嵐山の銃が効かなかったのを見て、孤月で応戦するつもりだ。
錬成した孤月に手をかけ、抜こうとしたその時。思いもよらぬ速さで、敵がすぐ目の前に迫っていた。
「なっ……!」
振りかぶった一撃が、サイドから柿崎を薙ぎ払った。
咄嗟にシールドを展開して身を庇ったようだが、勢いを殺せずそのまま吹き飛ばされる。施設の壁に激突した彼の身体に、コンクリートの瓦礫が降り注いだ。
「無事か、柿崎!」
『ぐっ……なんとか』
嵐山の内部通話にくぐもった返答が届く。どうやら大きな損傷は免れたらしい。
一体どういうことだ。嵐山は現況を顧みた。
このタイプの近界民は、大きくて装甲が硬い代わりに、重量の分動きは鈍いはず。今の攻撃はスピードも勢いも、従来型とは桁違いだった。
先ほどのシールドも、近距離の銃撃を受けてほぼ無傷の強度。柿崎と連携した十字砲火でギリギリ割れるかどうか……。
誘導装置を無視して市街地に開いたゲートといい、この近界民もまた、見た目は同じでもイレギュラーな存在なのだろうか。
嵐山の疑問に答えるように、本部から通信が入った。
『本部から戦闘中の現場隊員へ。今、近界民に取り込まれた人の状況解析を進めているのだけれど』
沢村の声は努めて冷静ではあるものの、普段よりもややひっ迫した空気を匂わせている。
『2名とも、民間人とは思えないトリオン量だわ……少なくとも、片方のトリオン能力値は推定10を超えている』
「なんだって」
想定外の情報が現場に驚愕をもたらした。
トリオン能力値が10を超える者など、ボーダー関係者でも数えるほどもいない。戦闘員なら上位ランクかつエース級の逸材だ。
『おそらくその近界民は、取り込んだ人間からトリオンを供給されて強化されているんだわ。いつもの敵とは性能が……』
通信を最後まで聞く前に、敵が咆哮を上げながら追撃を繰り出した。
速い。先の攻撃で武器を手放してしまった柿崎に、大口を開けて襲いかかる。間に合わない!
「ッ、柿崎、緊急脱出だ!」
嵐山の叫びと、柿崎の自発緊急脱出宣言はほぼ同時だった。
ボーダー基地へと伸びていく軌道。ただでさえ厄介なバフのかかった敵に、この上柿崎のトリオンまで取り込まれたら手に負えないどころの話ではなかった。順当な判断ではあるが、味方を失ったのは大きな痛手だ。
近界民が再び民間人へと向かうのを阻止すべく、嵐山は銃撃を再開する。
現着してからもうかなりのトリオンを消費している。このままでは自分も活動限界になってしまう。
「本部、援護部隊の到着は?」
単騎で決着するのが難しいと判断した嵐山は、本部に支援を求めた。
あの防御力を上回り、かつ確実に頭を狙うとなると、高火力のアタッカーが必要だ。現在任務中の部隊ならば、村上鋼のいる鈴鳴第1あたりが望ましいが。
『嵐山、聞こえる?』
嵐山の呼びかけに応答したのは、沢村ではなく、どこか飄々とした男の声だった。
「迅か!」
『沢村さんから状況聞いた。悪いね、どうも確率の低い未来を引いたみたいだ』
迅はそのサイドエフェクトの有益性から、たびたび本部の作戦指揮に加わることを許されている。この通話も、忍田の指示で直接繋がれたのだろう。こうして連絡してきたということは、迅には新たな未来が見えているはずだ。
『今そこに、女の子が1人いるよね』
「ああ、逃げ遅れた民間人だ。大学の生徒だと思うが」
『その子、何が何でも死守して。絶対に捕獲されないで』
嵐山は息を呑んだ。
当然、民間人を危険に晒す判断を自分がすることはない。それを知っている迅が、名指しで念押ししてきた。言外に、彼女を捕られると最悪の未来に近づく、と言っているのだ。
『現場の援護には諏訪隊を派遣してもらってる。もうすぐつくはず』
「諏訪隊を……?」
たしかに諏訪隊が用いるW散弾銃は強力だが、どちらかといえば面で敵を制圧するのに長けていて、特定の的に威力を集中して仕留めきるタイプの戦闘スタイルではない。
意味ありげな女性の存在といい、相変わらずこの男は核心を語らない。
それでも、どんな完璧な作戦よりも、嵐山には信じられるものがある。
『あの敵を吹っ飛ばすのは諏訪さんだよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる』
迅が断言した。ならばそれが一番いい未来だ。
「嵐山、了解」
***
私を助けたボーダー隊員が、近界民に立ち向かっていった直後、無惨に弾き飛ばされるのを見て悲鳴を飲み込んだ。
私を、庇ったせいで――。
どうしようもない無力感に血の気が引いていく。
負傷したのか、それとも食べられてしまったのか……オレンジ色の隊員はそのまま復帰せず、今は赤い服の隊員がたった1人で応戦している。
彼のことは私でも知っている。同じ大学の1年生、嵐山准くんだ。
有名な嵐山隊を率いる彼は、ボーダーの中でもとりわけエリートだと聞いたことがある。そんな彼も、あの巨大な敵に1人ではいくらなんでも分が悪く見える。
(逃げなきゃ)
私はうまく力の入らない身体をなんとか支え、足を震わせながら立ち上がった。
私がここにいる限り、彼は撤退することも、体勢を立て直すこともできないのだ。
いくら市民を守るのが責務のボーダーでも、後輩の男の子の足手まといにはなりたくない。彼が時間を稼いでくれている間に、自力でこの場を離れなきゃ。
2歩、3歩と後ずさる。
そのわずかな動作でさえ、怪我を負った右半身はジクジク引き攣るけれど、さっきまで痛みよりも恐怖が勝っていた。かえって冷静でいられている気がする。
駅前まで行けば、避難用シェルターがあるはず。
記憶の中の情報を頼りに走り出そうとしたとき、あの無機質で恐ろしい目玉が、ギョロリとこちらを視界に捉えた。
「ッ……!」
まただ。近界民のあの目は、常に私を追ってくる。
あれに睨みすくめられるたび、私は問答無用で自分が獲物なのだと悟らされる。
逃げようとする私を捉えた近界民が、嵐山くんを無視してこちらに飛びかかって来た。
今度こそ、もうダメ。
ギュッと目をつぶると、すぐ近くで響いた大きな衝突音が鼓膜をつん裂いた。
瞬間、激しい風圧に煽られて、舞い上がった砂利が顔を掠めて飛んで来る。けれど覚悟していたような衝撃には見舞われず、恐る恐る薄目を開けてみると、まず目に飛び込んできたのはボーダーのエンブレムだった。
緑色の隊服。先ほどのふたりとはまた違う男の人。
私と近界民の間にそのボーダー隊員が立ち塞がり、彼の前で鈍く発光する透明な壁が、近界民の攻撃を阻んでいる。
壁はミシミシと圧力をかけられ、とうとう端の方に亀裂が入った。明るい短髪の背中から、くっと堪えるような声が漏れる。
「日佐人!」
誰かに後ろから勢いよく掴まれた。
膝の下に手を差し込まれ、ふわりと浮く身体。突然の浮遊感に叫び出す暇もなく、その場から遠ざけられる。
私を抱えて走り出したのは、同じく緑の隊服を着た、かなり年下の男の子だった。
抱えられたまま遠ざかる背中を振り返ると、透明な壁がいよいよ均衡を破られて、割れる寸前だった。
危ない!――そう叫びそうになったとき、横から直撃した何かが炸裂し、近界民が大きくよろめいた。
「おいおい、今の喰らって無傷かよ。マジでやべーじゃねーか」
――――よく知っている、声がした。
その声が耳に届いた瞬間、私の意思なんて関係無しに、勝手に反応した全神経が声の主を探していた。
砂煙が立ち込める中、近界民に対峙するように両手に銃を携えた後ろ姿。広い背中。くすんだブリーチヘア。
見覚えのない服を着ていても、見間違えるはずがない。
「諏訪さん!」
遠くから嵐山くんがその名を呼ぶ声がして、私は思わず口もとを覆った。
今日、何度も唱えた名前。
こんなピンチに限って都合良く現れるなんて。
あいつ、本当は私に忘れさせる気なんてないんじゃないかって、愚かな考えが一瞬だけ脳裏を過ぎった。