椎名翼の幼馴染

1-3 フットサル①

「転校するの! 2学期から、飛葉中に」

「――――はぁ!?」

 状況を端的に言葉にすると、目の前の彼は声を上げて絶句した。
 その驚愕ぶりに、今度は麻衣の方が困惑してしまう。
 今更すぎである。この話は1ヶ月以上前から決まっていて、様々な手続きや引越し準備も現在進行中のはずだ。これから世話になろうという家の住人が、知らないなんてことはあり得ないのだが。

「何がどうしてそうなるんだよ! あと、ここに住むってどういうこと」
「えっ、だって翼のお母さんが」

 その人物の呼称を口にしたとき、翼の眉がぴくりと反応したので、麻衣は朧げながら元凶を察することができた。
 誰に対しても不遜、尊大、無敵の椎名翼だが、そんな彼にも苦手な人種がいる。身内の女傑たちだ。

 そも、本来麻衣は学生寮のある学校に転校させられる予定だった。椎名家に間借りするという話が浮上したのは、翼の母親が言い出したからだ。

『麻衣ちゃん手のかからないいい子だもの、中学卒業までくらい全然預かるわよ。ほら、うちってば無駄に広いし、居候のひとりやふたり増えても変わらないわ』

 電話中の流れで飛び出したその発言を、麻衣母は当初本気にしていなかったのだが、

『で、いつ来るのかしら?』

 有無を言わさぬ畳み掛けにより、断るタイミングを失ったらしい。
 あの穏やかな表情と物言いを崩さず他人を言いくるめる手腕はいつも見事だなと、麻衣は密かに関心している。今回は麻衣にとっても都合の良い展開だったので、全力で味方につけることにした。
 そんな翼の母親だが、どうも一人息子を可愛がるあまり、わざと嫌がらせをして楽しむ悪癖があるように思う。仕掛けたドッキリが成功してはしゃぐ姿が想像できてしまい、被害者にはご愁傷様と言うほかない。
 麻衣は、本来すでに把握していて然るべき事の顛末を、始めから順を追って説明した。

「はぁ、海外転勤ね。おじさんおばさんは栄転だろうけど」
 
 ようやく事態を飲み込んだであろう翼は、盛大なため息とともに呟いた。

「……思春期の息子がいる家に他人の娘を預かろうなんて、どういう倫理観念だよ……」
「?」

 言葉の真意が分からず首を捻ると、何やら残念なものを見る目を向けられた。麻衣はむっと唇を尖らせる。
 何にせよ、出鼻をくじかれた気分だ。再会をこんなにも心待ちにしていたのは、どうやら自分だけだったらしい。

 と、翼の視線がさっきからチラチラと何かを気にしていることに気が付く。
 意識の先にあるのはおそらく壁掛けの時計だ。ローマ数字のシンプルな文字盤で、針は13時15分頃を指している。

「翼、これから何か予定があるの?」
「ん、ああ」

 麻衣の問いかけに、翼は少し考える素振りを見せる。

「……そのボール、」

 質問に答えない代わりに、そう言って目線で示したのは、麻衣が持ってきたスポーツバッグ。
 先ほど無理やり詰め込んだからだろう、チャックが閉まり切らず1/4ほど開いており、中から白と黒のお馴染みの柄が覗いている。

「サッカー馬鹿は健在みたいだね。下手の横好きってヤツ?」
「下手は余計だ、バカ」

 下手は不本意でも馬鹿は否定できない。
 引越しにあたり、私物や生活用品のほとんどは新調するか宅配便で送っているが、すぐに取り出す必要があるものだけは手荷物にまとめてきた。麻衣の場合、それはイコール、サッカー用具である。ボールのほか、シューズや練習着も一通りバッグに詰まっている。
 そんな麻衣だから、翼の次の発言には思わず食い気味に反応してしまう。

「これからサッカー部の連中とフットサルなんだけど」
「フットサル!?」

 一瞬で瞳を輝かせた彼女の反応は、おそらく想像通りだったのだろう。
 翼は満足そうに口角を吊り上げ、二の句を継ぐ。

「アイツらにも会わせたいし、連れてってやらなくもない。ただし――――」

 

***

 

「むううう……!」

 グリーンネットに指をかけ、その内側を恨めしそうに睨みつける少女の様子を、行きすがりの人々が遠巻きに伺っている。
 都内某所のフットサルコート。翼に連れられやってきたものの、おあずけを食らった麻衣は、ひとり見学スペースで観客に紛れていた。

『俺らもう5人揃ってるんだよね。だから麻衣は見学。終わったら紹介してやっから、外で待ってな』

 ぴしゃりと言い放ち、自分を置き去りにした翼は、さっさと受付を済ませたようだ。ネット越しに、チームメイトと合流しているのが見える。

「交代要員とかでも入れてくれればいいじゃん!」

 フットサル場に誘われたときは、早速翼と一緒にボールを蹴れると思って心が踊ったというのに。
 自分がどれだけその瞬間を待ちわびていたのか、ちっとも分かっていないのだ、あの幼なじみは。

 しばらく恨みがましい眼差しをコートに送っていた麻衣だったが、やがて諦めたようにベンチに座った。
 膝に右肘を乗せる形で、頬杖をつく。
 いろいろと文句を言いたくはあるものの、彼にとって自分の来訪は予定外であったことだし、そのせいで待ち合わせに遅れさせてしまった点に後ろめたさも感じている。
 それに、見学というのもまあ悪くはない。麻衣は自分がプレーするのも好きだが、観るのも好きだ。こうなったら、会わない間に翼がどんなプレーヤーになったのか、じっくり拝ませてもらおうではないか。

「第1コート、試合始まるぜ」
「つえーんだよなあの中坊チーム」

 翼のチームはこの会場でも名が知られているようだ。何人かの利用客が立ち止まり、コートに注目している。

 麻衣は改めて飛葉中サッカー部のチーム編成を観察した。
 フットサルはサッカーとは微妙にポジションの概念が異なる。たしか専門的な呼び方があるはずだが、聞き馴染みがないのでここではGK、DF、MF、FWとしておこう。MFが2名、その他が1名ずつの計5名で1チームだ。
 GKにはドレッドのガタイのいい少年がついている。MF左サイドに色黒少年、右サイドに金髪少年、FWにドレッドの長髪……GKの彼とは兄弟だろうか? そしてDFの位置にいるのが翼だ。
 行きがけに翼の話を聞いた限りでは、飛葉中はDF中心のチームらしい。たしかに翼以外みんな恵まれた体格をしている。

 キックオフは相手チームからだ。まずは様子見というように、中盤でパスを出し合いながらボールを前に運んでいく。

(チェックが的確だな)

 飛葉中のディフェンスはさすがに隙がない。適切な距離でパスの出しどころをつぶし、相手の自由を封じている。マークされる側からすると、下手にプレッシャーをかけられるよりやりづらいだろう。体格が中学生離れしているからといって、力任せなプレースタイルではなさそうだ。
 初めはゆっくりだったパス回しが徐々にスピードに乗ってくる。飛葉中が簡単に隙を見せないと知り、相手チームも攻めどころを作ろうとフォーメーションを旋回させていく。

「マサキ!」

 翼の号令で敵のパスコースを切った色黒少年がボールを奪った。
 瞬間、フィールドの3人が一気に前方へ駆け出す。

「!」

 麻衣は思わず身を乗り出した。
 全員ポジショニング判断が早い。素早い移動に翻弄され、相手プレーヤーが混乱しているのがわかる。

 マサキと呼ばれた彼のパスは、翼がワンタッチで右サイドへ。それを金髪がドリブルで運んでいる間、ゴール前、FWが敵DFを背負って待ち構えている。彼をポストに……と思いきや、逆サイドへのクロス。後方にいたはずのマサキがもう上がっていて、すでにシュートモーションに入っている。
 斜めに切り込むようなシュートが、見事相手ゴールに突き刺さった。リズムに乗ったプレーに観客が沸く。

「すごい……!」

 無意識に立ち上がっていた麻衣も、感嘆の声をあげた。

 一人一人のレベルが高い。個人能力が高いということ は、それだけとれる選択肢が広いということ。実際、飛葉チームはどんな場面でも余裕を持って対応できている。
 何より目を見張るのは連携だ。どう点を取るのか、自分はどう動くべきなのか、チームの意思統一ができていないとあれほど見事な連携は生まれない。瞬時の状況判断と、お互いを知り尽くした信頼関係がなせる技なのだろう。
 そしてもうひとつ。翼のコーチングだ。
 彼は今のところ積極的に得点に絡んではいないが、チームメイトへの指示出しが的確で早い。隙のない守備や攻撃への素早い反転は、翼の統率によるものが大きい。幼少期から翼のリーダーシップは光っていたが、チームに恵まれてその才能が遺憾なく発揮されているということなのだろう。
 個人技においても彼のレベルは抜きん出ていた。ボールタッチ数が多いわけでもないのに、フィールドの中でひときわ目を奪われるのは翼のプレーだ。正確無比で、ときに大胆。そんなプレースタイルに観客は魅了される。

 麻衣は両手を胸の前でぎゅっと握り込んだ。
 先ほどまでは翼と一緒にプレーがしたいと思っていた。今はまた少し違う気持ちに支配されている。

 対戦してみたい。今の翼と。
 自分が今持てる全力で仕掛けたら、アイツはどう切り返してくるだろうか。

 そのチャンスは意外な形で訪れた。

「げ。アイツ、ドタキャンかよ。人数足りねえじゃん」
「そのへんで誰か助っ人誘うか?」

 話し声に気づいて振り向くと、高校生くらいの男子4人が何やら相談していた。そのうち1人がPHSを持っており、苛立たしげに液晶を眺めている。
 じっと視線を送っていることに気づかれたのか、男の1人と目が合った。

「あの」

 麻衣は意を決して声をかけることにした。

「わたしで良ければ!」