すわと21歳忘年会
第一部のイレギュラーゲート事件後日談。風間さんが遠征から帰ってきて、4人で飲みに行く話。
「あら、諏訪くん久しぶり。また会えて良かったわ」
デスクの前に立った俺に、顔を上げた彼女は事務作業中の手を止め、わざと皮肉を込めた言い回しでいたずらっぽく笑った。
予想通りの対応。思わず出かけたため息を押し戻す。さっきから顔を合わせるやつらみんなこの調子だ。俺が何かやらかして今日まで謹慎になっていたことは、どうも本部中に知れ渡っているらしい。
「勘弁してくださいよ、沢村サン。危うくシャレになんねーとこだったって、あんたは知ってんでしょ?」
「本当よ。謹慎10日で済んだことを司令に感謝しなきゃ」
「よく言う。この時期、都合よくシフトに入れる隊員を長々遊ばせとけねえってのが本音でしょう」
年末年始にかけ、問答無用で詰め込まれたシフトを思い返しながらじっとりと睨む。あ、目そらしやがったな。確信犯じゃねーか。
「はぁ、まあ⋯⋯とりあえずこれ、提出しに来たんで」
差し出した封筒がその場で検められた。A4コピー用紙の裏から透けて見える「始末書」の見出し。こんなもん、当然書式も何も分かんねえから、ネットで拾ったテンプレートを適当に埋めてきた。誠意がこもっているかと問われれば、まぁ、うまくごまかすしかねえな。
そんな内心のやましさを指摘されることもなく、形式的な書類はすんなり受理された。面倒事が1つ片付き、ほんの少し気が軽くなる。
「お疲れ様。これは私から本部長に渡しておくから、帰っていいわよ。明日からまたよろしくね」
「うっす。どうも、面倒かけてすいやせんした」
一応、下げる頭だけ下げて、さっさと踵を返す。
本部長室を出て、廊下を曲がった途端、目の前に待ち構えていた人物と目が合った。
「……なんでいやがる」
精一杯の渋面で抵抗を示すも、そいつのメンタルに1ミリも刺さらねえことは織り込み済みだ。
「誰かさんがトンズラしないよう確保しとけって勅命でね」
雷蔵が埋もれた首をすくめながら言った。まるで自分の意思ではないと強調するような態度だが、荷物を抱え、アウターまで着込んで来ているあたり用意周到だ。ほとんど開発室の住人と化しているこいつの私服姿を拝むのはいつぶりだったか。
ぶっきらぼうに放たれた言葉に舌打ちする。正直、このままトンズラしてやろうという考えがなかったわけではない。そうでなくとも、どうにか理由をつけて逃げる方法はわりと真剣に考えていた。見透かした上でわざわざ阻止しにくるこいつらは、1人残らず性格が悪い。
遠征帰りの風間を労う名目で、この日に飲み会を設定したのは随分前のことだ。危険な任務から帰ってくる仲間の無事を、せいぜい祝ってやろうと、あいつが出発する前からいつもの4人で約束していた。なんなら意気揚々と予約を入れたのは俺だった気がする。
その後に起こる不測の事態を、迅じゃあるまいし、あの時点で予想できるわけねえだろ。
半ば連行されるように連れてこられた馴染みの居酒屋。入店した俺らの顔を見るなり、頭にタオルを巻いた店員の兄ちゃんが「お連れさん、2階でお待ちです」とよく通る声で案内した。勝手知ったる通路を進み、手狭な階段(雷蔵なんかはそろそろつっかえるんじゃねーか、つか、こいつまた太ったろ)を上がる。さすがは忘年会シーズン。まだ早い時間にも関わらず、すでに全テーブルが埋まっていた。
「ああ、来たか」
1番奥の席に、無駄にデカいのと異様にちっこいののシルエットを見つけ、靴を脱ぐ。
すぐに気づいたレイジが手を上げて俺らを呼んだが、対面に座ったヤツはどういうわけか無反応だ。顔を上げる素振りもなく、あぐらをかいた姿勢のまま、何やら手元を凝視している。
俺は、どうやら無事に帰還したらしいそいつのツンツン頭を見下ろし、声をかけた。
「おう風間、長期出張はどう――風間?」
「…………」
がやついた店内とはいえさすがに聞こえるはずの声量。しかし、俺を無視した風間は、じっと手の中の紙っぺらを見つめている。
つい先ほど提出した書類と同じような白いA4用紙。
数秒の間をおいて、赤い眼差しがようやくこちらを向いた。怪訝に見つめ返せば、その口元がふっと歪められた。
「諏訪、お前が恋愛小説も守備範囲だったとは知らなかったぞ」
バンッ。
反射的に身を乗り出した反動で膝をテーブルに打ちつけたが、かまわずそいつの手から紙をひったくった。
ぐしゃぐしゃに丸めて千切り捨ててやるつもりで、素早く中身を確かめる。印字内容は、想像していたような文書形式ではなく、等間隔に置かれた単語の羅列。
「……本日のおすすめ……鮭ハラスの炙りチーズ乗せ……?」
店員の手づくりらしい、なんとも安上がりなワープロベタ打ち居酒屋メニューだった。
ふるふると肩を震わせる俺に、宇宙一ムカつくドヤ顔が得意げに言い放つ。
「なんだ、機密書類だとでも思ったか? いくらなんでも、こんなところに印刷して持ち込むわけがないだろう。俺の出張中に起きた例の事案の“報告書”なら、すでに本部で確認済みだ」
「てめえ風間ァ!」
「それにしても傑作だった。あの太刀川が自ら閲覧権限を申請して読んでいたくらいだからな」
「ハアア!?」
隣で素知らぬ顔をした雷蔵を睨みつける。知らばっくれてんじゃねえ、おめーがこいつらに余計な吹聴したことは予想ついてんだよ!
「諏訪、うるさいぞ。邪魔になるからとっとと座れ」
淡々と言うレイジの視線を追って振り向けば、4人分のジョッキとお通しを持った店員が困ったように佇んでいた。
ちくしょう、だから嫌だったんだ。
風間の遠征先のことは守秘義務で聞けねえ決まりだし、一般客もいる居酒屋ではおおっぴらに仕事の話もできねえ。それ以外の共通の話題として、俺の過去の色恋沙汰なんて格好のネタ、徹頭徹尾いじり倒されるのは目に見えていた。
適当な音頭でジョッキを突き合わせ、各々がそれを口に運ぶ。身体の内側を通り抜ける苦味と炭酸。気の置けねえ仲間同士、アルコールという免罪符を手に入れれば、普段以上に饒舌にもなる。
「まったく理解ができん」
本来、年末の労いが語られるはずだったこの場は、風間の説教から始まった。
「一隊員の身にあまる情報を組織に秘匿するなど。隠し通せるとでも思っていたのか。そもそも何の解決にもならん、下策も下策だ」
1/3ほど減ったジョッキを握り締め、対角の席から蔑んだ視線をこちらに寄越してくる。事のあらましを聞いてからずっと、俺に直接文句をつけるタイミングを狙っていたのだろう。無駄を嫌う現実主義の風間ならばそう言うだろうと思っていた。
「うるせーなァ、俺だって反省してんだよ」
「だいたい、いくら恋人とはいえ本人が抱えるべき問題だろう。彼女自身が選択すべき未来を、他人の諏訪がどうこう判断するなど、お前は、自分の恋人を自分で何も決められないヤツだと馬鹿にしているのか?」
「あー風間、悪いけどそれくらいにしてやって。諏訪のライフはとっくにゼロだから」
正論を捲し立てる風間に、見かねた雷蔵が静止をかける。雷蔵の言う通り、一度ぐうの音も出ねえほど凹まされた俺には、風間の主張に反論するだけの余力は残されちゃいなかった。この件に関しては全面的に己の非を認めている。それはそれとして、なんでこいつにここまで言われなきゃなんねえんだという別の憤りは感じたが、不毛な応酬が始まるだけなので、ここは堪えて聞き入れるのみだ。
「俺は諏訪の気持ちも少しは分かる」
黙っていたら、隣から意外な助け舟が出された。
呟いたレイジは、一度言葉を切ってお通しの枝豆に手を伸ばすと、一粒ずつ口に放り込んだ。こいつはこいつで、1人の女を長年想い続ける健気なところがある。そういった部分で俺に同調する感情でもあったのだろうか。
「うちには迅がいるからな」
そのひとことで、言いたいことを察するにはほとんど充分だった。
「あいつにはいつも助けられているし、今の生き方を選んだのもあいつ自身だ。――だが、必要以上に背負いこもうとするやつに限って替えのきかない能力が与えられたことを、理不尽に思わなくもない。もっと自分を優先しろと言ったところで、俺の言葉は届かないだろう。自由にしてやれるのならば、逃がしたいと思うかもしれん」
サイドエフェクトなんつー特殊能力を持って生まれた人間は、本人がどうあろうと、勝手にさまざまな期待を押し付けられる。責任感の強えやつほど、それを自らの使命と受け止めて、他人には決して代わってやれねえ苦労をひとりで背負うハメになる。
迅を引き合いに出されては、流石の風間も黙らざるを得ないようだった。こいつ自身、迅にはあれこれと世話を焼いている筆頭だからな。
折良く、注文した料理が運ばれてきた。すでに飲み干されたいくつかのジョッキをまとめ、追加を注文したところで、レイジが話題を軌道修正した。
「諏訪の元恋人っていうと、あの子だろう。高校一緒だった高槻さん」
飯がテーブルに置かれた瞬間、早速箸を付け始めた2人も、咀嚼の合間に会話を続ける。
「木崎と寺島は面識があるのか」
「まあ同じ学年だからな」
「オレは室長に付いてこないだ病院で顔合わせたけど、いたような、いなかったような……」
「おめーは他人に興味なさすぎなんだよ」
雷蔵がいまだに顔と名前を一致させている高校の同学年なんざ俺ら以外に存在するのだろうか。いや、相手からしてもそれは同じか。こいつの容姿はここ数年で変わりすぎている。
「けど、一昨年くらいに諏訪が彼女できたって浮かれてたことと、別れたってしばらく荒れてたことなら覚えてるよ」
「ぶっ……!」
残りのビールを流し込んでいる最中にくらった不意打ちで、飲み込むはずだった液体が気管に入りかけ、盛大にむせ返った。
ざけんな、一刻も早くこの話題を打ち切りたかったが、激しく咳き込んだ喉は思う言葉を発さない。
肺を押さえてうずくまる俺に構わず、やつらは好き放題に当時のことを掘り返し始める。
「そんなこともあったな。あまりに落ち込んでいたから、てっきりフラれた側だと思っていたが」
「あのときは俺たち総出で諏訪を慰めてやったもんだ」
うんうんと頷き合う野郎ども。こいつらは今すぐ認識を正した方が良い。
てめーらの言う慰めってのは、話を聞くと言って正論でこき下ろしたり、人んちで騒ぎまくったあげく物をぶち壊したり、個人ランク戦で「思う存分やれ」と言いながら逆に人をボコボコにするような、まさか、ああいうことを言ってんじゃねえだろうな。
「ま。何にせよこれで元サヤなら、諏訪もようやく報われるんじゃない。良かったね、諏訪」
「は?」
唐突に祝意を示され、意味が分からず聞き返すと、雷蔵は逆に訝しむように眉を寄せた。
「……だから、ヨリ戻したんでしょ? 高槻さんと」
「はあ? どっからそんな話が湧いて出た」
「は?」
「あ?」
思いもよらねえ勘違いが飛び出して、んなわけあるかとすぐに否定すれば、雷蔵だけでなく、ジョッキを傾けかけていたレイジも、大口開けて唐揚げにかぶりつこうとしていた風間も、ピタリと動きを止めた。呆れと驚愕が入り混じった視線が3方向から突き刺さり、居心地の悪さに思わず身をよじる。
「な、なんだよ……?」
「まさかこの流れで告白してないの? もう隠す必要ないのに?」
「頻繁に見舞いに通っているようだったから、さすがに付き合っているものだと」
「諏訪、お前強引に彼女にキスしておいて、責任を取らないつもりか」
「だーっ! 待て待て、おめーらこそ何言ってやがる! あと風間、いい加減そのネタから離れねえとマジでシバく!」
次々に浴びせられる罵声を、声を大にして一蹴する。
こいつらが何を期待していたかは察しがついたが、いくらなんでも筋違いってもんだ。
俺は興奮した息を落ち着けるよう、深く吐きながら、新しいジョッキに手を伸ばした。
「あいつとは、2年も前に終わってんだよ」
きっぱりと言い切った俺の言葉に、別に悲壮感はない。本心だからだ。たしかにあいつはいろんな意味で特別な女だし、こいつらの前でダセエ醜態を晒すほどには、かつての自分が執着していたのも認める。とはいえ気持ちの区切りを付けるのに、2年は充分な期間だろう。
「こちとら理由も言わずに一方的に振った男だぞ。今更何もなかったように戻るわけねえだろ。必要以上の関係を求める気はねーよ。第一、あいつ彼氏いるし」
口をついてから、最後の一言は余計だった、と思う。説得力を持たせるつもりで付け足したはずが、むしろ未練がましさを助長する言い方になってしまった。みるみる同情混じりになった雷蔵の顔にムカついて、誤魔化すように酒を煽った。
「つーわけで、この話はしめえだ。解散解散。悪ィな、変に期待させちまったみてえでよ」
しみったれた空気を手で払いながら笑い飛ばす。こんなどうにも発展しねえ話を長々続けてもしょうがねえ。一刻も早く話題を変えようと、新しいネタを探して思案する。
ところが、じっとこちらを見ていたレイジが、何故か含みのある物言いで先に問うてきた。
「……その彼氏というのは、経済学科の3年か? 山中教授の講義を取っている、細身で茶髪の」
確認された内容に、真意を測りかねた俺は、目を細めて怪訝を示す。
あいつの彼氏のことなんざ、校内で男と2人でいたところを見たというだけでよく知らねえ。ボーダー関係者でさえなければそれでいいと、深入りしなかったからな。つーか、むしろなんでレイジの方が知ってやがる。
「別れたらしいぞ、最近」
さらりと入ってきた情報に、危うくつまみを落としそうになった。
「知り合いか木崎」
「いや、講義が被ってるだけで、たまたま話してるのを聞いた。名前が聞こえたんでな。その……高槻さんのことを、3日で飽きて捨てた、と言っていたんだが」
「は……」
顎に手をやり、言いづらそうに声を潜めたレイジから出てきた言葉に耳を疑った。
は……捨て……?
頭の中で反芻し、解釈を試み、やがてジワジワと胃が侵食されるような不快感を覚える。
「うわ、何そのろくでもないの確定みたいな男。そんなのと付き合ってたの」
「諏訪が彼女とくっついたと思っていたから、逆に振られた腹いせの捨て台詞だろうと聞き流してしまった。悪い、やはり問い詰めるべきだったか」
「それはいつの話だ?」
「昨日の2限だ。友人同士の雑談といった感じだったな。“付き合っていてつまらなかった”――だそうだ」
視界の端で、3人がチラチラとこちらを伺っている。何らか反応を求められているらしいが、言葉を発しようにも、ふつふつと沸いて出るもんが理性的な思考を妨げやがる。
つまらない?――たしかに派手な女ではねえな。野郎と話合わせられるほど多趣味でもねえし、忙しくしてる分、流行にゃ疎いし。けど、コミュニケーションが下手なわけじゃねえ。楽しけりゃ笑うし、嬉しけりゃそれを共有しようとする。素直なやつだ。それがつまんねーっつうなら、テメェがつまんなくさせてんじゃねえの? 少なくとも、俺が一緒にいた頃、あいつとの時間をつまんねえなんて思ったこと、一度だって。
気づけばギリリと奥歯を噛み締めていた。どこの誰とも分からねえそいつに、言いてえことが積もり積もって押し潰されそうだ。
「諏訪さあ、だから言ったじゃん」
雷蔵が、皿に残った炒め物を残らず平らげながら、事もなげに言った。
「彼女が『勝手に』幸せになることなんてないんだって。意地張んないで腹括んなよ」
「…………」
俺がいれば、もうそんなクズ野郎をあいつに近寄らせずに済むだろうか。
資格もねえのに、そんなてめえに都合の良いようなことを考えちまう、俺の心を見透かすような発言だった。
「ふん。終わったものと思っているやつの顔ではないな」
風間が冷やかすように笑う。少し前からひでえ面を晒している自覚はある。
「これで改めて言い寄る理由ができたな」
「まあ本人に拒否られたら仕方がない。またいくらでも慰めてやろう」
人の気も知らず、美味そうに酒を進めやがって。ああ、そうかよ、クソが。
俺は今更ながら過ちに気付き、腹立たしさに首の後ろを掻きむしった。
こいつら、端から俺の過去話なんざしちゃいねえ。
現在進行形の恋愛事情を肴にしようって魂胆じゃねえか。
逃げるように煙を求め、ひとり店の外に出た。
暖房で暑いくらいだった室内との気温差で、火照った身体は急速に冷えていった。
いつもより早えペースで回った酔いも、煙草半分ほどの時間で覚めちまう。だというのに、俺の頭にチラつき始めた妄執は一向に消えやしねえ。
もう一度、あいつと。
そっから先をほんの少しでも考え始めたら、もう抗えねえんだろうな。吐き出した煙を眺めながら、そんな予感が胸に宿るのを感じていた。