椎名翼の幼馴染

それぞれの思惑

都大会準決勝、試合直前のお話

 準決勝開幕の約30分前。
 大会事務局にメンバー表を提出し戻ってきた玲を、廊下で待ち伏せていた翼が、控え室の手前で呼び止めていた。

「麻衣の件、どういうつもりで勝手に選手登録なんてしたのさ」

 玲は顔色を変えることなく、黙ってこちらを見つめ返している。だが、やがて根負けしたようにため息をひとつ落とすと、伏し目がちに口を開いた。

「本当は、こんな風に無理やり引っ張り出すつもりはなかったのだけれど」

 誰に対しての言い訳なのか、そんな前置きをしてから、彼女は語り始める。

「麻衣がもし自分で出たいと言ってきたら、少なくとも出場権はある状態にしておいたの。――翼も気づいていたでしょう? あの子が本当は、今でも試合に焦がれていること」

 試合にこだわらずサッカーを楽しみたいと、選手でなくマネージャーを選んだ麻衣。その言葉がまるで本心でないと、翼が気づいたのはほんの2日前だった。
 離れていた2年半の間に、彼女が経験した挫折。それを打ち明けたときの彼女の目には、本人は気づいていないかもしれないが、側から見ればあからさまなほど、どうしようもない悔しさが滲んでいた。
 そんな麻衣の心の内の未練を、玲はもっと前から見抜いていたらしい。

「あの子はお利口だもの、冷静に自分の力量を判断して、分の悪い戦いから降りてしまったんだわ。けどね。理性と感情は別。潔く諦めたなんて言っても、最後までやり切ったと思えなければ、未練はこの先もずっと付きまとう」

 玲の口からは、確信めいた響きが伝わってくる。同性である彼女はきっと、翼以上に麻衣の葛藤を理解できるのだろう。

「自分の限界は、本当にそこに立ったこともないうちに決めつけられるものではないのよ」

「それって玲の実体験?」

 翼が投げかけた問いに、玲は「あら」と意味深に笑った。

「そうね、伊達にあなたたちより長く生きてはいないわね」

 そんな風に年の功をかざしてみせるも、次に繋げる言葉の前に、彼女が浮かべた表情はどこか自信なさげだ。

「あの子が自分で言い出さないのなら、それもひとつの選択だと思っていたのに。だめね、指導者としての欲が出てしまった」

 玲の言わんとしていることは、翼にも分かっていた。
 麻衣が試合出場を決めた理由、おそらくその半分は使命感だ。チームのピンチに、麻衣が逃げを選択できるような性格ではないと、2人は知っていた。その上で彼女の意思を誘導した。
 麻衣のためと口では言いながら、出場を勧めたのは結局自分たちのエゴだ。

「若者にお節介焼きたくなるのはおばさんの証拠って言うぜ?」
「まったく。どうしてアナタって子は、こう憎たらしく育ったのかしら」

 わずかにまなじりを上げながら、玲は先に控え室へと戻っていった。
 自分も後を追おうと、「飛葉中」の張り紙がある扉の前に立つ。

 勝利のため、麻衣の投入は現状取り得る最善手。
 それ自体も充分勝手な都合だが、翼にはもうひとつ、自覚しているエゴがある。

(とんだ皮肉だよね……10番なんてさ)

『わたし、翼のチームの10番になる』

 幼き日に彼女が口にしたその夢は、なんて非現実的で、バカバカしいのだと一笑に付すものだった。
 おそらく自分のことだから「生まれ変わっても無理」とか「お前のレベルに付き合ってられない」とか、覚えていないがそんな言葉で一蹴したのだろうと思う。
 麻衣だって、女である以上、限界があるということを知らなかったわけではないはずだ。

 それでも、彼女は真剣だった。真剣に、翼と並び立てるように、強くあろうと努力していた。

 その言葉を鵜呑みにしていたわけじゃない。
 けれど、再会したあの日――――
 「試合にこだわらない」などと目の前で言われたあのとき、ほんのわずか、彼女に失望してしまった自分がいた。

 麻衣のことだから、てっきり自分も試合に出たいと、ほかの部員たちと同じように部活に参加したいと、そう言い出すものだと思っていた。
 昔のように、女子であることなんかお構いなしに無鉄砲を貫くのだと。
 それを説き伏せて納得させて、立場を理解させるのが自分の役割だと、そう身構えていたのに。
 あろうことか「試合にこだわらなくても」ときたもんだ。

 他人の価値観にとやかく言うほど、自分は子供じゃないと思っていた。分別がついて、現実を見据えるようになった彼女の成長を「変わってしまった」と思うなど。
 そのあまりに身勝手な感情は、決して自分の中から出さないようにして、忘れることで自然と消化されていくはずだった。

 だが、彼女の本心が垣間見えたとき。
 彼女の中に、変わらないものが眠っているなら、それをもう一度見てみたくなった。

『こんな面白そうな試合、駄々こねてでも出たがるのが本来のお前だろ』

 一度手放したものを再び突きつけるなど、彼女にとってはただ残酷なだけだったかもしれない。
 だから先ほどの発言はエゴなのだ。麻衣を鼓舞したわけじゃない。

 目を輝かせながらボールを追いかけて
 技術を覚えるたびに嬉しそうに報告に来て
 試合に出られなければ、一層練習に打ち込み
 試合に出たら、役割を果たそうと必死に走る
 いつだって翼のパスを信じ
 いつだって翼の期待に応えようと全力で

 そんなかつての幼なじみと

 (俺は、もう一度サッカーがしたい)