SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

1-1 イレギュラーゲート

 彼氏にフラれた。

 満を持してそのネタを投下すれば、対面に座った友人は嫌悪感丸出しの顔で「出た」と毒づいた。
 傷心の相手にその態度はどうだろう、なんて思わなくもないけど無理もない。彼女にはつい1ヶ月前にも同じような報告をしたばかりなので。

「フラれた云々の前に彼氏の存在知らないんだけど」
「付き合ったの5日前だしね」

 週に1度、3限の授業が被るこの友人とは、毎週昼休みに学食で合流して、互いの近況なり惚気なり愚痴を共有するというサイクルになっている。前回彼女に会ったとき、私と件の元彼氏は何の関係性もなかったので、話題に上がりようがなかった。

「最初は断ったんだよ。バイト忙しいからあんまり恋人らしいことする時間作れないって。そしたら、バイト終わりでも俺は会いたい、っていうから」

 恋人の時間がどうとかでフラれたのは前回のパターンだ。同じ過ちは繰り返すまい、と予防線を張る私に、彼は条件を受け入れると言った。
 それならば、まあ。といった流れで、私と彼のお付き合いは始まった。
 22時にバイトが終わって、約40分かけて彼の家へ。始発が出る頃に一度帰宅する。そんな日が3日続いて、4日目の昨夜、彼はインターフォンに出なかった。変だなあと連絡を入れようしたタイミングで届いたメッセージ。「ごめん、やっぱ別れよう」。

「せめて電車乗る前に言ってほしいよね」
「アンタはほんっとに……!」

 カツン、と勢いよくコップがテーブルを打ち鳴らし、隣に居合わせた後輩男子がびっくりして身体を強張らせた。ごめんね、この子、美人だから無駄に迫力あるんだよね。というか今、もしかして私の方が怒られました?

「アンタよ、問題なのは! またそんなクズみたいな男に引っかかって。なんで毎回毎回毎回それでOKするわけ?」

 勢いのままに悪態をつくと、彼女は大皿に乗ったトンカツを口の中に放り込んだ。いかにもパスタだとかサラダだとかでお腹いっぱいと主張しそうな女に擬態しておいて、食のチョイスはいつも豪快だなあと感心する。自分もアジフライ定食の味噌汁を冷めないうちにすする。
 ヤバい男をネタにしてやろうくらいのつもりで切り出したのに、うっかり自分が説教をくらうハメになってしまった。

「毎回って、今回以外そんな酷い人いなかったと思うけど」
「私から言わせればどいつもこいつも似たようなもんよ」

 友人の言葉に、歴代彼氏を思い返してみる。3人、いや4人。全員向こうから告白してきて、向こうからフッていった。1番長く続いて3ヶ月。最短記録は昨日更新されたばかり。

「そのやる気のない服のセンスはともかく、麻衣は顔かわいいんだし、もっとちゃんとした男を捕まえなさい」
「はあ、ちゃんとした男」

 まるで他人事のような私の相槌に、友人は「これは重症ね」と呆れた。
 たとえば、目の前の彼女の恋人は、紛れもなくちゃんとした男だ。順調な交際が1年以上続いていて、側から見ても彼女を溺愛しているのが分かる。そういう彼と縁が結ばれるのは、彼女自身がちゃんとしてるからだろう。見てよ、あのくるんと上向いたまつ毛。愛されてるって自信が乗っかってるみたい。
 私はちらりとテーブルの下を盗み見た。12月の寒空をものともせず、愛され女子はミニスカートに生脚だ。ロングブーツは華奢見えする7cmピンヒール。いったいどんな信頼があって、そのか細い棒の上に自分の体重預けてられるんだろう。
 なんだか急に居心地が悪くなって、両足を椅子の下に仕舞い込んだ。軽さと見た目のシンプルさだけで選んだスニーカー。大学に必要以上にめかし込んで来るつもりもないけれど、まあまあ垢抜けてない自覚はある。

「別にさ、相手に特別大事にされなくていいんだよ。どっちかというと私が誰かに寄り添いたいだけなんだし」

 口をついた言葉には、存外卑屈さが滲んでしまった。
 私とこの子とはつくづく恋愛観が交わらない。お互いがお互いを特別に想い合う関係は、そりゃあ素敵だろうけど、そんな相手にめぐり会うまで恋人を作っちゃダメということもないでしょ。たまたま空いている席があって、座っていいよと言われたら、そこを居場所としたい人間もいるのである。幸い人の良いところを見つけるのは得意なので、そのうち本当に好きになれるかもしれないし。ただ……

「私の場合、いざそこに収まったとしても結局、恋人にするにはなんか違う女、なんだもんなぁ」

 その昔、去り際の恋人に実際に言われた言葉を、ため息混じりに引用する。タイミングを示し合わせたかのように、友人の意識が私の後方に逸れたことに気づいた。釣られて振り向けば、食堂に入ってきた目立つ金髪の姿。噂をすれば。

 諏訪洸太郎。ヤツは私の記念すべき元彼第1号である。

 後輩の堤くんと合流するのを見て、ああ、これから防衛任務なのかと思いあたる。ボーダー隊員である諏訪は、週の半分ほどボーダーでの活動があるらしく、いつもいるコマにいなかったり、途中で抜ける様子なんかもよく見かける。風の噂では今は隊長なんて役職についているらしい。出世したな、諏訪。
 肩越しに眺めていたら、向こうもこちらに気づいた気配がした。一瞬だけかち合った視線。けれどすぐに、そんな事実はなかったというように、諏訪の顔は無関係な方向に背けられる。別れてから丸2年、一度も言葉を交わしていない私たちは、今やただのクラスメイトよりも関係性が希薄だ。
 正面に向き直ったら、友人が威嚇するようにガンを飛ばしていて笑ってしまった。いつだったかベロベロに酔った私が、諏訪に対して盛大に愚痴ってしまったことがあって、それ以来彼女は諏訪を女の敵だと毛嫌いしている。何をしゃべったかまるで覚えていないんだけれど、事実以上に盛ってたらごめん。

 やがて後輩を連れて出て行った諏訪と入れ違うように、友人の彼氏が迎えにやってきた。昼休みももう10分ほどで終わる。最後のひとくちを咀嚼し終え、私たちは3限の教室へと向かった。

 

***

 

 恋愛ごとにはてんで向いていない私だけれど、それでも人並に恋に恋した時期がある。高1から3年も片想いしていた諏訪に告白されたときなんて、舞い上がりすぎて心臓が壊れるんじゃないかと思ったほどだ。
 私の初めては全部諏訪だった。恋をしたのも、彼氏彼女になったのも、キスをしたのも、抱かれたのも……。
 好きな人に触れられて、胸がキュウッと締め付けられるように反応して、それがだんだん甘い刺激に変わる気持ち良さを、私は諏訪に覚えさせられた。
 1ヶ月目、来る日も来る日も愛を確かめ合った。2ヶ月目、諏訪が忙しくて会えない日が続いて、私は自分がすっかり諏訪に依存していることを知った。3ヶ月目、目に見えてよそよそしくなった彼が、私に触れずにこう言った。

「悪ィ、やっぱなんか違ったみてえ」

 わずかに残っていた淡い期待は、完膚なきまでに叩きのめされた。
 とうとう初の失恋すらも私から奪った男は、たった一言で何もかも台無しにして去っていった。3年にわたる恋心も、確かに想いを寄せ合った幸せな思い出も。
 諏訪と別れて2年。それなりに割り切って、それなりに新しい経験も重ねてきたけど。あの、苦しいほど誰かの側にいたいという気持ちが、私の中に再び芽生えたことはない。

 私の心臓は、めっきり反応を鈍らせてしまっていた。

 

***

 

 講義が終わり、教授がそそくさと退室したところで、私は解放されたように天井に向けて伸びをした。
 3限というのは大半の生徒にとって睡魔との戦いであり、連日バイトに明け暮れる私のような生徒には、貴重な睡眠時間と同義である。教授の心象を悪くしないように、なるべく真面目な姿勢を保って居眠りする技術を駆使した結果、肩がバキバキに固まってしまった。

「麻衣ー、今日もこれからすぐバイトでしょ。駅まで一緒行こ」
「あれ。いつも4限までじゃないっけ?」
「今日は休講なんだよね」

 機嫌良さそうに笑う友人の傍に、にこにこと寄り添う彼氏。ああ、そういうこと。今日はいつにも増して頭から爪先まで気合い入ってるなと思ったら、授業終わりにデートの予定があったのか。

「私お邪魔じゃないのー?」
「何言ってんの。ほら、行くよ」

 彼女に急かされて、形だけ広げていた教科書やら筆記用具をバッグに詰め込み、教室を出た。

 校門から駅前の大通りへと続く道には、帰路に着く学生の流れができていた。着ているコートは皆似たような暗い色だけれど、ぽつぽつと目につく色鮮やかなマフラーが、集団の中でかろうじて個性を主張している。
 4年ほど前に建てられたばかりの三門市立大学は、外観が真新しく、周りの景観もそれに合わせて整備されている。古き良き三門の街中にあって、大学周辺だけはどこか都会的な印象になっていて、私はこの道を歩くのが気に入っていた。
 私と、友人と、その彼氏。3人でたわいもない話をしながら歩いていると、ちょうど大通りに差し掛かった付近で、バチっと何かが弾けるような音を耳が拾った。

「……? 今なんか音がした?」
「え、何?」

 始めは微かな異音だった。雑踏の中では聞き逃してもおかしくないような、会話に熱中してた友人が気にも止めないような。多少耳には残ったものの、気のせいか、と意識を戻した瞬間。今度は無視できない大音量で、バチバチバチィ! と激しい帯電音が鳴り響いた。

「――――!?」

 自分たちを含む、その場の通行人全員がたまらず音の方角を振り返る。
 50mほど後方、空中に浮いた真っ暗な闇。それが何であるか頭で認識する前に、私の呼吸は一瞬で凍り付いた。

『緊急警報 緊急警報 ゲートが市街地に発生します 市民の皆様は直ちに避難してください 繰り返します』

 けたたましいサイレンと共に、すぐそこのスピーカーから警報が発令される。いつもは遠く、隔てられた向こう側から風に乗って聞こえてくる音声。こんなに近くで聞いたことなんて一度もない。
 人々が悲鳴を上げながら四方に散開する。私も、脚をすくませる恐怖心をどうにか振り払い、呆然と立ち尽くす友人の腕を掴んで走り出した。状況はまったく分からない。確実なのは、今すぐこの場から逃げなければいけないということだけ。

 突如として現れたゲートと呼ばれるブラックホールは、みるみるうちに拡大し、やがて中から巨大な塊をひとつ生み落とした。
 その巨体が降り立った瞬間、地面から跳ね飛ばされそうなほどの衝撃に脚を取られる。乾燥した空気に舞い上がる砂塵。へし折られた街路樹がすぐ隣の建物にめり込んで、ガラスが粉々に弾け飛んだ。

(どうして)

 必死に脚を動かしながら、混乱する頭がひたすらに疑問を訴えている。あの怪物は、近界民ネイバーは、警戒区域外に出ないはずじゃなかったのか。
 もう二度と味わいたくなかった恐怖が嫌でもよみがえり、心臓がこれ以上ないほど早鐘を打つ。

「あっ……!」

 その時、後ろをついてきていた友人がバランスを崩して、その腕を引いていた私も勢いよくつんのめってしまった。
 地面に倒れ込んだ彼女の左足。根本からヒールが折れて、中途半端にぶら下がっている。
 先行していた彼氏が慌てて引き返して来た。ヒールを折り取ろうとするけど上手く行かず、諦めてブーツごと脱がしにかかる。ストッキング越しに、青黒く腫れ上がった足首を見て、私も彼氏も青ざめた。
 恐怖と、焦る気持ちでますます動悸が荒くなる。溝落ちが突き破られそうなほど痛い。それでも、彼女を見捨てて逃げることなんてできるわけない。
 2人がかりでなんとか彼女を彼氏の背中に乗せ上げた。周りの人間はすでに遠くまで走り去っていて、自分たちだけが取り残されている。歯をガチガチに噛み合わせた彼女を励まし、再び走り出したとき、咆哮が轟いた。
 すぐそこまで迫った近界民が、アスファルトにめり込むほどの一歩を踏み込めば、ちっぽけな人間にはひとたまりもない風圧が襲ってくる。私の身体はあっけなく吹き飛ばされ、3〜4メートル先の地面を転がった。

「ぐっ……」

 思い切り強打した右肩と、擦りむいた右頬に激痛が走る。口の中に入り込んだ砂利をプッと吐き出せば、血が滲んでいた。
 涙と砂煙で不明瞭な視界の端に、倒れたまま動かない2人の姿がある。そのすぐ後ろに、信じられないほど巨大な影。嘘でしょう。そう思ったときには、砂煙の合間からぬっと現れた無機質な目玉が、不気味に蠢きながら2人を見下ろしていた。

 大きな口に飲み込まれていく友人たちを、ただ呆然と眺めながら、私はまだこの怪物から逃れたいという願いを捨てきれずにいた。
 その意思に反し、まるで縫い付けられたように全身が萎縮して動けない。ボロボロと溢れる涙越し、すぐ目の前で口を開ける捕食者。

(諏訪……!)

 圧倒的な絶望感に蝕まれながら、未練がましく心が呼び求めたのは、もう私の手を引いてはくれない男の名前だった。