椎名翼の幼馴染

1-13 追想①

 物心ついた頃から、自分はあまりまわりに馴染めない性格だった。

「ね、昨日の最終回見た!? ○○クン、カッコよかったよねー」
「ラストのセリフ最高! 言われてみたーい」
「麻衣ちゃんはあのドラマなら誰派!?」
「えっ……、わたし、見てなくて……」

 クラスメイトたちは皆、いつも共通の話題で盛り上がっていた。恋バナ、テレビ番組、おしゃれのこと、ちょっとした噂話。何かひとつ新しい話題があると、放課後にはなぜか皆が知っている。そういうコミュニケーションに自分も加わりたいと思わなかったわけではない。
 しかし、彼女たちの興味対象と麻衣の興味対象は絶望的に交わらなかった。例えば、麻衣は勉強が好きだ。算数ドリルが楽しくて、もう宿題の先まで進んでいる。そんな話を嬉々としたら、嫌味っぽいというレッテルを貼られてしまった。
 せっかくできた友達も、会話が弾まず自然に距離ができてしまう。麻衣自身も、無理に話を合わせたり合わせられたりするよりは、ひとりでいることを好んで過ごしていた。

「人見知りってほどではないのよねえ」

 母親が隣人と雑談混じりに自分のことを話しているのを聞いてしまった。
 小学3年生になる娘が毎日真っ直ぐ帰宅し、友達の話を一切しないというのは、心配してしまうのが親心なのだろう。子供ながらになんとなく、罪悪感めいたものを感じる。

 その日の夜、母親に提案されたサッカークラブへの入団も、そんな後ろめたさが断りづらくさせたのだと思う。

「は? やだよ、なんで俺がこんな根暗の面倒見なきゃいけないワケ?」
「こら翼」

 人付き合いの薄い麻衣だが、人嫌いというわけではない。ただ1人例外だったのが、隣に住む1学年上の幼なじみ、椎名翼。彼に関しては、はっきりと苦手意識を持っていた。
 麻衣は自分の意見をあまり口にしない。一方、翼はどんなデリカシーのない言葉もズケズケと言う。そんな人間、普通は嫌われて当然だが、彼は常に集団の中心人物だ。他人に同調することなく、唯我独尊を貫きながら、周りからは羨望の対象。翼は、麻衣にとって理解できない異次元の存在だった。

「母さんもこんなヤツほっときゃいいのに。俺は遊びに行ってんじゃないっての」

 ブツくさ文句を言われながら連れて行かれる放課後。
 サッカーを提案されたのも、もともと翼がそのクラブに参加していたからだ。全く知り合いがいない環境よりは、身近な人間のいる場所を選んだということだろう。
 意図は分かるが、あまり効果的な人選ではない気がする。

「だいたいお前、サッカー興味あるわけ?」
「ない、わけじゃない、けど」

 なにせ隣がサッカー一家である。親戚にはプロ選手もいるらしく、常にサッカー関連の話題が身近にある。そんな椎名家と家族ぐるみの高槻家も、Jリーグの試合くらいはリビングで流れていたりする。
 ただ、サッカー云々の前に、麻衣は積極的に運動をするタイプではなかった。そもそも集団行動をしないので、自分がやるとなると未知の領域である。

「言っとくけど。俺は本気でこの世界のトップ目指してんの。親に言われたから来るような適当な生き方してるヤツに付き合えるほど暇じゃないから」

 いつも以上に翼の毒舌が刺さったのは、思い返せば図星だったからだ。麻衣は翼のように打ち込める何かは持っていなかった。それを羨ましいと感じている気持ちすら、この時はまだ自覚していない。

(サッカーができたからってなんなの。誰の何の役にも立たないじゃん)

 練習に参加するようになって早々、麻衣はすでに挫折寸前だった。
 ほかの皆が当たり前にこなしている練習メニューがまず出来ない。リフティングなんて数回しか続かないし、パスもドリブルも、足を使ってボールを操作すること全般、不慣れな素人には曲芸じみて思えた。
 最初は誰でもそんなもの、と大人たちは優しいが、1人だけ端で別メニューの自分が、同世代からどう見られているかは分からない。
 時間になれば翼が迎えにくるので、練習を休むようなことは無かったのだが、来る日も来る日も自分のセンスの無さと向き合うことになり、投げ出したい気持ちばかりがつのった。

(悔しいけど、あいつはここでも1番)

 翼のテクニックは言うだけあって別格だった。難しいカリキュラムも誰よりも早くモノにしてしまう。才能とはああいったものなのだろう。

「おい、ド下手くそ」

 珍しく練習中に翼に声をかけられた。大方、彼の母親の仕込みだろう。もともと友達ができるようにと送り出されたクラブなのに、今の麻衣はそれ以前の問題である。何かしら気にかけるよう言って聞かされたに違いない。

「お前バカなの? ただやってりゃ上手くなるわけないだろ。何のために脳みそ付いてんのさ。ちっとは頭使えよ、単細胞」
「なっ……」

 頭の良さは麻衣が自尊心を持てる唯一のことだった。テストだっていつも満点。運動神経を貶されるならともかく、頭の出来をバカにされるのだけは心外だ。

 もう限界かもしれない。今日、母親が帰ってきたら、はっきりと辞めたいと言おう。

 泣き腫らした顔でリビングで待っていた麻衣に、母は慌てて事情を尋ねた。

「全然……っ、上手くなんないの……あんなに、頑張って、やってるのに……!」

 辞めたい、ではなく、上手くなりたい。それが自分の本音だったのだと、麻衣はこのときようやく気づいた。

「翼が、わたしが下手なのは頭を使ってないからだって」
「相変わらずキツい性格してるわね翼くん」

 そうねえ、と母が思案しながら話し出す。

「私もサッカーなんてやったことないから、専門外だけど。物事が思った通りにいかないときは、必ず理想と現状にギャップがあるのよ」
「ギャップ?――才能の違い?」
「それは抽象度が高すぎるわね。うーん、つまり……もっと手の届くところから考えられないかしら? あなたがこうできたらいいなって、理想として思い浮かべるものはある?」

 ぱっと思いついたのは翼のフォームだった。大人のコーチよりも、自分と体型が近くてイメージしやすい。

「その理想の状態と、今のあなた、どう違うのかしら」
「どう……って言われても……」

 同じようにやっているつもり、けれど、アイツにできて自分にできていないということは、確かにどこかしら違いがあるのだろう。その違いがどこにあるか、麻衣は即答することができなかった。

「まずはその理想の状態をよく観察してみることね。上手くできている人には必ず上手くいく法則が、逆に、上手くいかない人には上手くいかない法則があるはずだから、それを見つけて理解することから始めるのよ」

 それはクラブのコーチとはまったく違う視点の、研究者である母ならではのアドバイスだった。

 麻衣の観察癖がついたのはその時からだ。
 練習中、足元のボールしか見ないことをまず止めた。コーチを見る。まわりの生徒を見る。とりわけ翼のことは注視するようになった。同世代で明らかに1番上手かったし、プレイひとつひとつが安定しているように見えたからだ。

「高槻のヤツ、また椎名のことじっと見てるぜ。好きなんじゃねーのー?」
「僕の趣味じゃないね」

 翼も視線に気付いているようだったが、止めろとは言ってこなかった。
 しばらく観察を続けていると、上手い人特有の共通点のようなものを見つけられるようになった。

(足が思ったより高くない。それに、ボールにゆるくバックスピンがかかってる。当てたとき気持ち外側をこすってるんだ)

 発見したことを意識して練習に取り入れる。当然、すぐに思ったとおり身体を動かせるわけではない。ボールが明後日の方向に飛んでしまうたび、何が違ったのかひたすら考えた。

(今のは足首が伸びてたから、斜めにボールに当たってた。次は足首を45度で固定するようにして……)

 同じ反復練習でも、闇雲に身体を動かしていたときと全く違う。楽しい。ずっと問題を解き続けているような充実感だ。技術自体もみるみる改善されていった。

 やがてインステップリフティングが100回でも200回でも続けられるようになった頃には、麻衣は練習にのめり込むようになっていた。