椎名翼の幼馴染

1-16 都大会準決勝②

 準決勝、試合会場。ベンチ入りした三上は、無言で相手側ベンチの様子を眺めていた。続々と現れる赤いユニフォーム。選抜合宿で見知った顔を何人か捕捉する。

「おいおい、アイツらよくここまで上がってこれたな。あんなチビばっかでよ」

 近藤が一瞥してせせら笑う。
 飛葉中のメンツはなかなか個性豊かだ。やたらガタイの良いドレッドや金髪がいると思えば、せいぜい150cm程度の小柄な選手が3人も。そのうちのひとり、女のように華奢な野郎がキャプテンでCBというから驚きだ。
 だが三上は決して侮らない。合宿中の練習試合では、他でもないあの男に何度もチャンスを潰された。受けた屈辱は、必ずこの試合で返すと決めている。

「三上セーンパイ」

 背後から藤代が絡みにやってきた。鬱陶しげにあしらう三上だが、この後輩にはなぜか威圧が通じない。

「さっきから飛葉の方気にして、何かあるんすか? もしかして西園寺さんが気になるとか! 美人ッスもんねー、あのコーチ♡」
「ああん? てめ、いい加減にしろよ藤代。殴られてーのか」
「え。まさかの図星?」

 三上の機嫌の悪さを察知した笠井が、藤代を無理矢理回収していった。ふん、と鼻を鳴らして席に戻る。無駄にムカつくのは、藤代の発言が当たらずとも遠からずだと自覚しているからだ。

(ちっ、いねーじゃねーか、アイツ)

 てっきりマネージャーか何かで帯同されてくると思ったのだが。飛葉中ベンチにも、スタンド席にも、探していた髪の長い少女の姿は見つけられなかった。

***

「そんな顔しないでよ、みんなして」

 なんとも言えない面持ちで自分を見つめるチームメイトたちに、麻衣は苦笑を浮かべた。
 慣れない感触を確かめるように、うなじあたりを撫で付ける。
 先ほどまで結えられていた2つの毛束がばっさり無くなり、フェイスラインに沿って耳を覆う程のショートヘアに切り揃えられている。襟足が若干長めに残されているのは玲の優しさだろう。

「キレーな髪やったのに、やっぱもったいなかったんちゃう」
「まーなんとなく伸ばしてただけだし。サッカーするにはちょっと邪魔だったしね」

 名残惜しさはあったものの、断腸の思いというほどではない。髪を切ったのは、対戦相手になるべく女だと意識されたくなかったからだ。

「悪目立ちしたくないし、それに、自分がこのチームの弱みだって極力バレたくない」

 麻衣は透明なゴーグルを顔にかけた。スタジアム内の売店で買った、度なしのアイガードだ。これで顔の印象を少し誤魔化せる。
 ユニフォームは小林のものだ。登録上、本来の麻衣の背番号は12だが、急なことで用意がなく、急遽10番で再申請することになった。メンズサイズなので、腰回りの体型は隠れているだろう。手足の華奢さはどうしようもないが、堂々としていれば案外気づかれないかもしれない。

「幸いうちには他にもちびっ子がいるし、そういうもんだと思ってもらおう」

 翼と千葉の間に紛れるように位置取ると、両隣から不本意そうな視線が浴びせられた。

 ウォームアップも終わり、試合開始直前。翼の号令により、11人の円陣が組まれた。
 この時間特有の緊張感。久しぶりに味わうそれは、プレッシャーではあるが、思ったよりも心地が良い。麻衣はうるさいほどの心拍を胸に閉じ込めながら、ゆっくりと深呼吸をする。

「今、俺らがここにいるのは当たり前じゃない。勝ちを望んで、勝つための技術を今日まで叩き込んできたからだ。勝ちに慢心してるヤツらなんか敵じゃない。それをこの試合で証明してみせろ」

 互いの肩を握る手に、自然と力が入る。

「飛葉中、行くぞ!」
「オオッ!」
「上等ォ!」

 

***

 

 審判のコイントスにより、試合は武蔵森キックオフで始まった。
 飛葉中のメンバーは、相手のボール回しを目で追いつつ、直前に確認した今日のオーダーをそれぞれ頭に思い描く。

『俺らの武器は素早い攻撃反転。とにかく陣形をコンパクトに維持しろ。後半、体力を消耗してくるとスピードが落ちる。前半で可能な限りリードを取る』

 武蔵森のポゼッションに対し、インターセプトを狙いやすくするため、飛葉はなるべく間合いを狭めてスペースを埋める。中盤に5枚並べたことで、敵MFとFWを分断し、高い位置でのプレスに成功している。
 中央と前線の統率は10番である小林の役割だった。今はそれを麻衣が担っている。ここの連携が1発で機能するかが最初の課題だったが、連日のミーティングで戦術の認識を合わせていた成果か、想像以上にスムーズな連携ができていた。

 敵はやりづらそうに舌打ちしながら、バックパスでボールをDFに戻した。先ほどからほどんどボールを前に運べておらず、苛立っているようだ。
 ボールが3番、VOの間宮へと渡った。千葉と堀江が2人がかりでプレッシャーをかけるが、鮮やかに躱して前を向く。間宮目線、左右FWのうち、どうやら右の藤代は警戒されている。通るとしたら左。

 大きく左サイドに蹴り出されたボールは、11番、辰巳のもとに届けられた。辰巳は中央への切り込み方を一考する。突破か、パスか。がっちりと固められたDFを抜けるにはまだ揺さぶりが足りなさそうだ。
 近藤へのパスコースは塞がれている。ここは三上に託して……

「バカッ、辰巳!」

 誘いに乗るのを待ち構えていた翼が、思い切りよく飛び出した。三上の目の前でボールが奪われる。それを合図に、申し合わせたように飛葉陣営が前進を始めた。

「来たぞ、4番だ! サイド警戒!」

 武蔵森も飛葉のカウンターは警戒していたのだろう。素早いトランジション。

 中央を駆ける翼には間宮がついた。左サイド、味方が6番(柾輝)と4番(翼)の直線上コースを消している。右サイド、7番(直樹)が手を上げてボールを呼んでいる。狙いは右か。
 間宮の意識が右に向いた瞬間。翼は間宮の股下にボールを通した。

「!?」

 咄嗟に振り返った間宮のすぐ後ろに、先ほどまでなかったはずのスペースと、背番号10の姿。

 麻衣は受け取ったボールをすぐさま左に流した。敵のマークより数歩前を走っていた柾輝が難なくこれをトラップ、ドリブルで駆け上がる。

「根岸、行け! 大森、カバー!」

 渋沢の指示で、SBの2番はマーク対象を柾輝に切り替えた。これにより千葉がフリーになるが、13番がすぐにカバーリングに動く。
 ボールは柾輝から千葉へと繋がれた。しかしシュートコースは塞がれている。正面にGK。右からは13番のプレッシャー。

 千葉は身体の感覚を研ぎ澄ました。

(麻衣先輩に教わったキックフェイント……!)

 わざと手を大きく広げ、シュートモーションを演出しながら、足裏でボールを掴む。DFがフェイントにハマった。視界の端で、味方の赤いユニフォームが狙い通りのポジションに飛び込んできた。瞬時に真横にボールを蹴り出す。

「10番だと!?」

 位置も、タイミングも、ここしかない。練習中、何度もこの目で見た千葉と小林の連携技を、麻衣は再現してみせた。
 左がかりになったゴール前の攻防は、死角に現れた麻衣を完全フリーにした。迷いなく放たれたシュートが、ゴール右端のネットに力強く吸い込まれていく。

 どおっと、会場が沸いた。

「先輩ーーー!!!」

 FWの1年生2人が、目をキラキラさせて駆け寄ってきた。麻衣自身も、ボールが確実にゴールラインを超えた瞬間、大きく快哉を叫んでいた。
 ゴールインを示す主審のシグナル。

 前半開始7分、スコアボードに0-1が記録される。

「マジかよ……」

 まさかの失点に、呆然とする武蔵森のDF陣。
 切り替えよう、渋沢が手を叩いて彼らを鼓舞する。

(俺としたことが詰めが甘かったな。あの小柄な10番、地区大会のときはいなかったようだが)

 地区大会決勝戦、飛葉中vs桜上水中の試合を、渋沢は会場で見ていた。
 驚異的なディフェンス力、サイドを利用したスピーディーな攻撃。しかし、新設したばかりのチームとあって、選手層は薄く、個人の技術レベルはかなり格差があったはずだ。今のような中央からの攻撃バリエーションは少なかった。
 武蔵森がサイドアタックに対策してくると読んでの戦術変更だろう。短い期間でここまで組織力を上げてくるとは。
 だが2度は通用させまい。瞬時にプランを練り直す。

 三上は腹立たしげに拳をふるった。またも椎名にしてやられた。あの場面ですぐにボールを奪い返せなかったことが悔やまれる。いや、そもそも隙を与えてしまった時点でヤツの術中である。
 自分の判断力を憂うのはとりあえず後回しだ。相手は想定以上にシステムの完成度が高い。自分にはわかる。今の一連のプレーは、その場の偶然などではなく、用意されていた戦術だということが。

 このとき、三上は初めて飛葉中10番に意識を向けた。今まさに攻撃の起点となり、得点を決めた、自分と同じポジションの相手。

「…………は?」

 ゴーグル越しにも分かってしまった。仲間に讃えられて嬉しげに笑うその人物。それは昨日、面識を持ったばかりの、自分の知っている人間だった。