椎名翼の幼馴染

1-17 都大会準決勝

 その後、飛葉中は幾度かの好機を作り出したが、渋沢により修正された守備は固く、崩せないまま逆に1点を返され、前半終了。スコア1-1でハーフタイムを迎えた。

 観客たちは怒涛の試合展開に熱狂している。王者武蔵森と、完全なるダークホース、飛葉。このままジャイアントキリングが起こるのではと期待の声も上がり始めている。実際、あの武蔵森を相手にここまで1失点で抑えられているだけで快挙なのだ。

 だが、ベンチに戻る飛葉陣営の表情は険しかった。前半戦は何としてもリードして終わりたかったのだが、先制点以降、いい流れを掴み損ねている。焦れば焦るほどこちらにも隙が生まれる。その結果が、奪い返された1点だ。
 いい勝負で終わる気などない。勝つためには、まだ何かが足りない。

「麻衣、気分はどう? 体調に異変はないかしら」
「はは、死にそうだけどなんとか」

 玲にタオルとドリンクを手渡された麻衣は、力無く笑った。
 交代選手のいない飛葉中は、後半になるほど、体力的な不利が生じる。ただでさえ消耗の激しい戦術を採用しているのだ。この暑さで、選手たちは容赦なくスタミナと集中力を奪われる。
 女の麻衣はとくに顕著にパフォーマンスに出始めていた。なんとか食らいついているが、そもそも男子の運動量に合わせるというのが無謀な話だ。
 吹き出る汗も、乱れる呼吸も、本当はとっくに限界を主張している。

(これでも走り込みは欠かしてないんだけどな……)

 気を抜けば再び暗い闇に落ち込んでしまいそうで、麻衣はブンブンと首を振った。余計な感情に振り回されている場合ではない。勝つために、最後まで思考を回転させなければ。

「麻衣先輩、すみません。前半俺らのミス、先輩にめちゃくちゃフォローさせました」
「すみません……」

 そんなことを言いにやってきたのは、FWの千葉と堀江だった。バツが悪そうな物言いで、2人とも眉根が力んでいる。ポジション的に、この2人とはとくに連携が多い。おそらく、何度かパスを受け損ねたことへの謝罪だろう。
 後輩という関係性を今まで持ったことがない麻衣は慌ててしまった。

「いやいや、みんなやれることやってるんだから、私もそれは当たり前っていうか」

 千葉と堀江は、互いに目を見合わせて頷いた。

「だから、後半は俺らも先輩をフォローします。走らなきゃいけないところは全力で走るんで、遠慮なく使ってください」
「!」

 攻撃の起点となる麻衣に、できるだけ負担をかけない。それは単なる気づかいではなく、彼らなりに勝利のためにできることを考えた結論だった。
 今度は背後から頭をパシパシと連続で叩かれる。

「俺らも走るで、麻衣。どんどんパスよこしい」
「後半も頼むぜ、司令塔」

 直樹・柾輝がそう言って笑った。サイドは圧倒的に運動量が多いのに、疲労を表に出さない。タフな2人だ。
 最後まで一緒に戦ってほしいと、そう言われているようで、麻衣はじんと胸が熱くなった。

「お前らばっかカッコつけてんじゃねー。俺らも忘れんなよ」

 守備陣を代表して五助が茶化すと、FW2人は照れ笑いを浮かべた。
 いいチームだ。だからこそ、ここで終わりたくない。このメンバーを全国の舞台へと送り届けるために。

 

***

 

 後半開始。飛葉中のキックオフで試合が進むと、間もなく武蔵森の新たな打ち手が仕掛けられた。
 息切って走り出した麻衣の目の前に、立ちはだかる3番のユニフォーム。

(マンマーク!? VOがこんなところまで)

 間宮は、獲物を見つけた爬虫類のような鋭い眼光を放ちながら麻衣のマークについた。10番を潰せ――監督のオーダーはいつもどおり明解だ。

「飛葉中の10番、おそらく奴は体力的な限界が近い。トップ下が機能しなくなれば、それで攻撃の目がかなり摘める」

 武蔵森の監督、桐原は、前半戦においての麻衣の功績を決して過小評価しなかった。
 飛葉中の守備の要が4番だとしたら、攻撃の要になっているのが10番だ。もともと警戒していた飛葉のプレイスタイルは、4番の圧倒的リーダーシップによる最終ラインからのビルドアップ。彼らのカウンターは驚異ではあるものの、武蔵森に匹敵するほどのタレントは中盤より前にはおらず、対応は容易と考えていた。
 ここにきて中央からの攻めに何度か苦戦させられている。あの10番が起用されたことで、攻守のバランスが格段に良くなっている。例によってかなり小柄な選手だが、テクニックは目を見張るものがあり、何より状況判断能力に長けているようだ。今まで一度も出場していないのは、情報を与えないために温存されていたのだろうか。
 しかし、要所が明白だからこそ対処のしようがある。幸いスタミナのある選手では無いのだろう。あれさえ押さえ込めば、こちらは攻撃に集中できる。

 ハーフタイム中、何度も口ごもり様子のおかしい三上に、渋沢が声をかけていた。

「どうした三上。監督に何か言いたいことでもあったのか」
「いや……」

 三上は麻衣のことを報告するか迷っていた。
 ヤツが女だと伝えて、それでどうなるのか。間宮の当たりを加減してもらう? それはない。敵としてあの場に立っている以上、手ごころは加えられない。明確な弱点として戦術が固まるかもしれないが、変に意識させることで、かえってチームメイトがやりづらくなる可能性すらある。
 というか、やりづらさを感じているのは自分だった。10番があの女だと気づいてから、無茶な当たりをされていないか、たびたび集中を乱されている。自分の中にこんな甘さがあったなんて、ほとほと呆れる。決勝進出がかかった試合で敵の心配などあり得ない。
 結局その事実は誰にも伝えないまま、三上は、自身の意識からも極力彼女の存在を追い出すようにつとめていた。

 桐原の目論見通り、間宮に狙いを定められた麻衣は執拗なマークでさらに体力を削られていた。引き剥がそうと足掻けば足掻くほど、マムシの異名を持つこの男は逃すまいと絡みついてくる。
 体格差からくる恐怖心もまたプレーを妨げていた。弾き飛ばされそうな当たりは正直怖い。味方にもそれが伝わってしまっているのだろう、麻衣にボールを集めることへの躊躇が見られる。
 そもそも少ないチャンスが、麻衣へのパスが絶たれたことで選択肢が限定され、いまやボール支配率に圧倒的な差が生まれている。自陣から抜け出せない飛葉中は防戦一方だ。

(しつこい……! ひとりしかいないVOをマンマークに付けるなんて、武蔵森はDFを抜かれない絶対の自信があるってこと?)

 だとしたら、随分うちの前線を舐めてくれている。麻衣が間宮の注意を引き受けてさえいれば、FWはかなり自由に動けるはずだ。
 後半15分、敵のトラップミスで溢れたボールを松原が拾い、訪れたチャンスシーン。右サイドを駆け上がりながら、直樹が前方を指差して叫ぶ。

「オラオラー! 上がれ上がれ、ちんたらすんなやー!」

 2人がかりで止めにきた敵をギリギリでかわし、良い場所にクロスが入った。間宮が持ち場を離れたことで中央に生まれたスペース、ここを有効に使って、FWのどちらかがDFを突破できれば。

(!?……武蔵森は中盤以降が全然戻ってない?)

 その違和感にいち早く気づいた麻衣に悪寒が走った。ここまで自陣に切り込まれておきながら、敵は主力を飛葉側に残している。対して飛葉中は、千載一遇のチャンスを逃すまいと両WBにVOまでが上がって――今反転されたら、窮地に陥るのはこちらの方だ。

「ッ柾輝! 武富くん! 7番と9番が着いて来てない!」
「武富、行き過ぎだ、戻れ!」

 麻衣と翼がほぼ同時に叫んだとき、前線では、堀江が背負っていた敵4番にボールを奪われていた。

「逆カウンターだ!」

 センターラインをまたぐロングパスが、三上に届いてしまった。翼が対応に走っていたが、さすがに空中の奪い合いでは身長差がもろに出る。ヘッドで横に流され、7番へ。右サイドの7番と9番はほぼフリー状態だ。
 勢い付いた武蔵森が、まるで黒い津波のように一気に押し寄せる。その波にのまれながらも、麻衣は全力で自陣へと走る。
 走っているのに。
 身体が重い。息ができない。足が前に進んでいる感覚が全くしない。味方も敵も、背後から自分を追い越す背中がどんどん遠ざかっていく。

(ダメ、待って、おねがい――!)

 絶望的な感情が、最悪のシナリオを予感する。

 手を伸ばした先に見たのは、無常にもキーパーの指先をすり抜けてゴールラインを割るボールの軌道だった。