1-18 約束①
藤代が放ったシュートは、ゴールネットを穿つ勢いでポストのギリギリ内側からラインを突き抜けた。
武蔵森陣営の観客席が大いに湧き上がる。試合時間も残すところ15分を切って、1点リード。彼らにとっては格下相手に歯がゆい試合を見せられてきたが、これでかなり安心できる状況になった。
まだ1点差、とはいえチームの雰囲気が雲泥の差だ。
試合が進むにつれ、飛葉中の動きは明らかに鈍くなっている。終始余裕をもってプレイできている武蔵森に対し、全員でコートの端から端まで走り通しの飛葉中。体力、気力ともにボロボロだろう。今の追い討ちゴールで心が折れない方がおかしい。
実際、飛葉中の選手たちからは表情が完全に消えていた。普段お調子者のメンバーですら、表向きの明るさを取り繕うことも忘れている。無言のままキックオフポジションへと向かう。
麻衣は一歩も動けないままその場に立ち尽くしてしまった。ぐるぐると駆け巡るのは先ほどの失点シーン。
今のは明らかに自分の責任だ。攻撃参加できない自分の代わりにWBが上がっていた。本来自分が対応すべきスペースをVOがフォローに入っていた。自分が動けないせいで、飛葉のフォーメーションを崩壊させたのだ。
自分の役割はこう、と頭では理解できているのに。それを実行できない不甲斐ない無さに自然と顔が俯く。
わずかに滲んだ視界の中に、誰かが歩いて入ってきた。膝から下しか見えていないが、誰なのかは分かっている。
顔を上げられずにいると、上から声が降ってきた。
「忘れてるみたいだからこれだけ言っとく。
今日、このチームの10番はお前なんだぜ。
――たぶん、これが最初で最後」
「――――……!!」
フラッシュバックしたのは、幼かったあの日の誓い。
『わたし、翼のチームの10番になる。翼が頼れるような前線のゲームメイカーに。翼が奪ったボールは、全部わたしが入れるんだから!』
「っ……覚えて……!」
言うだけ言って、一度も目を合わせるタイミングがないまま自分のポジションへと戻っていく4番の背中が、かつての記憶と重なった。
一緒にサッカーができる幸せな時間が、このまま一生続くと思っていたあの頃。子供らしい無邪気な発想で口走った絵空事を、まさか翼が覚えているなんて。
あの夢は期限付きだったのだと、いつからか理解し、諦めた。
けれど、最初で最後。今日がそのラストチャンスだというのなら、まだ終わりにしたくない。
麻衣はゴーグルの下でぐっと涙を拭った。
チャンスは来る。翼がああ言ったのなら、必ずボールは前線に届く。そのとき、完璧なゴールプランを描ききるのは自分でなくてはならない。
このチームの10番は、わたしなのだから。
***
試合再開以降、武蔵森は無理に攻め入らず、ボールを奪われないよう安全なパス回しを優先した。
1点でも多く得点していれば勝ちというルール上、この時間帯ではリスクを侵さないのが常套手段だ。じりじりと時間だけが過ぎ、このまま試合終了を待つのみといった空気が会場には漂っている。
(なんだ?)
その不気味さを最初に感じ取ったのは三上だった。ポゼッションを優先しているとはいえ、やけに自分にボールが回ってくるタイミングが多い。今は攻撃よりも安全圏へのパスを優先しているのだから、DFに奪われるリスクが高い前よりも、後方にボールが溜まっても良いはず。
しかも、徐々にパスとパスの間隔が短くなっている。
(なんでこんなに密集して……)
周りを見渡すと、あからさまにスペースが減って、パスコースが限定されてきている。敵味方含めてプレイヤーが30m四方程度に圧縮されている状態だ。しかも全体的に敵陣に偏っている。
やりづらい。一度キーパーまで下げて間合いを……
「逃さないよ」
「くっ」
マークにきた翼に阻まれ、ロングフィードを出しそこねた三上は、すぐ前の味方にパスせざるを得なかった。というより、出させられた。他のパスコースは潰され、そこだけが開けられていたから。
(こいつら、意図的にこの状況を!)
プレーエリアがコンパクトになればなるほど、自由に動ける範囲が狭まる。イコール、動きが読まれやすくなる。自分たちがボールを支配しているつもりで、持たされていた。コート上の鳥かごに追い込まれるために。
味方が苦しまぎれに出したパスは、その軌道を完全に読んでいた4番によって遮られた。
後半28分30秒。ついに飛葉中が攻めに転じた。
仕掛けるなら、終了間際――翼ならそう考えるだろうと、麻衣は約10分間、乱れた呼吸を整えることに専念していた。
1点目が入ったのは奇襲に近かったからだ。1度仕掛けて逃したら、敵の警戒を強めてしまう。どのみちチャンスは1度きり。ならばより成功角度が高いのは、勝利が近づいて浮足立つ終了間際。
そしてその時はやってきた。翼のインターセプトを目に捉えた瞬間、麻衣はボールと真逆方向に走り出した。
「!」
間宮の反応がワンテンポ遅れる。マークする側にとって最もやりづらいのは、ボールホルダーとマーク対象が対角線上にいる時だ。2つを同時に視野に収めることができないため、両方に気を配りながら追わねばならない。
「千葉!」
叫びながら、麻衣は千葉にアイコンタクトと指差しで指示を出した。意図を汲んだ千葉が、中央の麻衣のポジションとスイッチする。
この行動で、間宮は再び選択を迫られた。今自分が10番を追ってこの場を離れると、中央がガラ空きになり、4番から11番へのラインが完全にオープンになる。さすがに危険すぎる。咄嗟のリスクヘッジが働いて、麻衣への追撃の足が止まった。
翼が敵のスライディングをかわして駆け上がる。最前線には麻衣・千葉・堀江の3トップ。全体的に飛葉側に寄っていたため、ゴール前にはかなり広いスペースが空いている。他のメンバーも一斉に上がっており、武蔵森は後ろ向きに走りながらなんとか体制を立て直そうと必死だ。
「おいおい飛葉の10番、あれ以上行くとオフサイドだぜ」
観客席の誰かが呟いた。左斜め外側に向かって走る麻衣は、すでに武蔵森DFに追いついている。走りながら手を上げてボールを呼ぶ。たまらず、CBが麻衣へのパスコースをケアしようと外側に膨らんだ。――――今!
タイミングを見計らっていた麻衣は、そのCBと入れ替わるように中央に開いたスペースへと急速に転進した。
表示されたロスタイムは1分。
翼のラストパスは、一直線に中央を突き進んだ。
軌道上にいた千葉は、翼と目が合うと、ハッと何かに気づいたように目を見開いた。そして、自分のもとへ飛んできたボールをあえて見逃す。
千葉を通り抜けた先で、走り込んでいた麻衣と、翼のボールが完全に噛み合った。