SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

1-4 諏訪隊

「諏訪隊、現着した。待たせたなァ嵐山!」

 諏訪はそう叫ぶと、もう1人の隊員を引き連れてこちらに走って来た。短髪の彼、よく見れば堤くんだ。
 私は先ほどまでとは全く別の理由で焦り始めていた。諏訪はまだ私に気づいていない。
 え、どうしよう、どんな反応をするのが正しいんだろう。スルーするのもおかしいけれど、いかんせん2年も口をきいてない。諏訪だって、まさか職場で元カノに遭遇するとは思っていないだろう。不可抗力とはいえ、心情的にはギリ申し訳なさが他の気持ちを上回っている。
 嵐山くんも追いついて、4人のボーダー隊員プラス私が並走する。走るといっても、バイクか何かのようなものすごいスピードなので、抱えられた私は振り落とされないように祈りながら縮こまっているしかできない。「うっし、合流したな」そう言って諏訪がこちらに視線を寄越した。

「日佐人、おめーはケガ人連れて……」

 ついに目が合ってしまった。
 諏訪は、絶句したように口を半開きにして、咥えていたタバコを落としていた。お互い言葉が出ずにただ見つめ合う。き、気まずい……。

「……は……は!? 高槻、おめー、何やって」

 数秒の間を置いて、我に返った諏訪が声を荒げた。遅れて堤くんからも「え、高槻先輩?」と戸惑う声が上がった。

「っおい、なんだその傷、その腕も、痛えのか!?」

 言いながら、ぐいと近づいてきた諏訪の目付きがどんどん険しくなっていく。指摘の通り、アスファルトを転がり回った私は今、全身擦り傷だらけ、痣だらけだ。無意識に庇っている腕も、本当は軽い振動だけで激痛に見舞われている。弱音は吐かないように堪えているけど、表情までは取り繕えていないだろう。
 ただ、そんな痛みが意識の外になるくらい、今の私には、諏訪が現れた衝撃が大きかった。

「……諏訪、ほんとにボーダー隊員なんだね……」
「ハァ!?」

 言うに事欠いて、随分呑気な受け答えになってしまった。
 “高槻”――自分を呼ぶ、粗暴で懐かしい響きに、思いのほか胸が締め付けられた。この非常時に何考えてるんだと自分でも思う。けど――
 けど、すわ。諏訪だ。この期に及んで無視されたらどうしようなんて、私の馬鹿げた心配をよそに、真っ先にケガを気遣ってくれる、相変わらずの諏訪。
 彼は任務中で、別に私を助けに来たわけじゃない。それは分かっているけれど、私の気持ちは現金なもので。
 諏訪が側にいる。それだけで絶望の縁からはすでに救われた気になっていた。

「諏訪さん! そろそろ作戦地点です!」

 私を抱えている男の子が告げるのと、後方で銃撃音が鳴ったのがほぼ同時だった。ここまでしつこく追いかけてきている近界民を、堤くんが振り向きざまに迎撃している。堤くんの銃は嵐山くんのものよりも威力があるようで、着弾するごとに近界民の前進を阻んでいた。

「なるほど。ここなら地形的に足場もありますし、周りの建物は大学の施設だから、避難も完了している。最小限の被害で済みそうですね」
「けど諏訪さん、この敵、聞いてた以上に足が速い。この先の市街地はまだ避難誘導中です、なんとしてもここで食い止めないと」

 諏訪さん?――堤くんの呼びかけに、応える声がない。皆に注目されている諏訪は、何か問題に気づいたように、うっすら緊迫した表情で考え込んでいる。
 思い詰めた眼差しが、一瞬、私に向けられた気がした。

「……チッ、そういうことかよ」

 苦々しげに舌を打ち、タバコを咥えなおした諏訪に、先ほどまでの気やすい雰囲気はない。
 手にした銃を握り直す、鈍い金属音。

「打ち合わせ通りだ。日佐人、そいつを近くのシェルターに放り込んでこい。一般市民を銃撃戦に巻き込むわけにいかねー。堤、嵐山、俺たちで足止めすんぞ」
「そのことですが諏訪さん」

 嵐山くんが、遠慮がちに提言した。

「あの近界民、どうも執拗に彼女を狙っているような行動が見……」
「嵐山!!」

 後輩の意見を荒々しく遮る怒声に、肩が跳ねた。
 何? ――近界民が、私を狙って……?

「こいつは一般市民だ」

 有無を言わせず突き返されて、嵐山くんはやや気圧された様子で「……了解」と返答した。
 諏訪が顎で行けと示せば、日佐人と呼ばれたそばかすの少年も黙って頷く。3人をその場に残し、私を抱えた日佐人くんは施設の方に向かって走り出した。

「こちら笹森、おサノ先輩、避難経路の誘導をお願いします」

 日佐人くんは声の聞こえない誰かと話している。その背中越しに繰り広げられる激しい銃撃戦。爆音が大気を振動させる。
 諏訪は大丈夫……なんだよね……?
 最初の隊員が殴り飛ばされた光景を思い出して、ゾッと背中に悪寒が走った。この場で私にできることは何もない。足手まといにならないように、指示に従って戦線から離れるのが最優先。分かっていても、後ろ髪を引かれる思いがした。
 それに、嵐山くんが言いかけた言葉も気になっている。
 たしかに4年半前も、今回も、遭遇した近界民は私を見つけた途端、狙って追いかけてきたように思う。偶然か被害妄想にしては、思い当たる状況が多い。
 もし、私自身が何かの理由で近界民を引き寄せているのだとしたら――。
 他にも避難民がいるであろうシェルターに、このまま向かって大丈夫なのだろうか。

 突然、銃撃の向こうから近界民の雄叫びが轟いた。その直後、日佐人くんの首元のスピーカーから、ザザッと乱れた通信が割り込んだ。

『……ろ、日佐人! こいつ、無理矢理突進する気だ!』
「!?」

 100メートル以上離れた後方で、巨体が身を屈めている。跳躍の予備動作。そう思った次の瞬間には、隊員たちを飛び越えた近界民が、その巨体を大砲で撃ち込まれたような勢いでこちらへ突っ込んできていた。

「きゃああああああああ!!」
「……シールド!!」

 絶叫が、簡単に掻き消えるほどの轟音に襲われた。
 近界民が着地した箇所は地盤が完全に陥没し、アスファルトが打ち砕かれ、亀裂の走った四方から瓦礫の雨が降り注いだ。
 崩壊する景色の中、振り下ろされる近界民の爪牙。
 その一部始終をこの目に映しながら、私の動悸は臨界点に達していた。

『オイ! 日佐人、応答しろ! 無事か!? オイ!!』

 スピーカーから必死に呼びかけ続ける諏訪の声がする。
 日佐人くんは、しゃがみ込んだ姿勢のまま、その声に応答する余裕もない様子で呆然と宙を見つめている。困惑する横顔に、つうと滴る汗。

「なんで……こんな分厚いシールド……」

 視界は一面、薄緑色のフィルターがかかっていた。
 私たちを中心に、透明な壁が周りを囲んでいる。堤くんが出していたのと同じ、淡く光る壁だ。壁は、瓦礫はもちろん、近界民の攻撃もすべて跳ね返して私たちを守った。あれだけの衝撃を受けて、ヒビひとつ入った様子がない。
 けれど、全く安心できる状態ではなかった。壁を隔ててすぐそこに、暴走する近界民がいる。攻撃の第2波はすぐにやってきた。振り下ろされる巨大な前脚。
 怖い。痛い。声が、出ない。
 ガキンと手応えのある破壊音がして、天地が傾いた。地面から生えたドーム状の壁が、土台もろとも抉り取られていた。
 閉じこもったまま宙に投げ出された私たちは、絶叫マシーンなんて比じゃないほどの遠心力に振り回されながら、近界民の暗い口の中に吸い込まれていく。

「諏訪さんッ!!」

 突然、私に加わっている物理法則のベクトルが変わった。目まぐるしい視界の中で、遠ざかる日佐人くんが見えて、ああ、彼に投げ飛ばされたのだと理解する。
 背中から勢いよくぶつかった。もう、どこが痛いとか、いちいち処理しきれないほど情報過多だ。
 そんな中で、私を背後からしっかりと抱き止めた腕の感触だけは、心のどこかで感じていた。

「日佐人ォーーー!!」

 すぐ頭上で諏訪が叫んだ。堤くんが正面に出て応戦している。「一度下がりましょう」と言って先導する嵐山くんに続いて、私たちは瓦礫を掻い潜り少し離れた建物の屋上に身を寄せた。

「こちら嵐山――笹森が、食われました」

 インカムに手を当て、嵐山くんが端的に報告を入れた。
 諏訪は私を床に座らせると、悔しそうに顔を歪めて、前方での足止めに回った堤くんと、その先の近界民を見ている。近界民は、新たに取り込んだ獲物を味わっているかのように、不気味に静寂を保っていた。

「諏訪さん」

 嵐山くんが、ひどく気が引けるような面持ちで諏訪に呼びかけた。

「俺はもう弾丸トリオンが尽きます。敵は、笹森の分も強化された可能性が。本部からの増援も、俺たちがここを突破されるまでに間に合うか分かりません」
「……何が言いてえ」

「迅が、あの近界民を吹っ飛ばすのは諏訪さんだと言いました。心当たりが、あるんですよね」

 嵐山くんの確信めいた瞳が、私に向けられる前から、私もきっと彼と近しいことを考えていた。

「だから、こいつはただの一般市民」
「諏訪」

 言葉を遮られたのが想定外だったのか、諏訪はようやくこちらを見た。本気度が少しでも伝わってほしくて、私も真っ直ぐ見つめ返す。朦朧とした意識をなんとか保とうと、痛む右肩を強く握る。

「ねえ、さすがに分かるよ。あの子、日佐人くんが食べられたの、私のせいなんだよね?」
「ッ!」

 動揺が顔に滲み出ている。諏訪は嘘をつくのは苦手じゃないのに、こちらが確信を持って詰め寄るとボロを出すんだ。付き合いが長いから、知ってる。

「教えて。私はどうするのが1番いい? どうすれば諏訪の役に立てる?」
「おめーは、何も」
「嘘。諏訪が嘘つくのは、知ったら私が困るようなことを隠したいときだもん。本当は、何か私に都合の悪い秘密を知ってるんでしょ」

 痛みと焦りで、アドレナリンが過剰に出てるみたいだ。心臓がまるで外に出てきたようにバクバクと音を鳴らす。
 私が声を荒げるのに呼応して、諏訪も興奮気味に言い返してきた。

「おめーがそんなだから、俺は……!」

 その言葉が、表情が。何か切実な感情を訴えているように感じて、気持ちを大きく揺さぶられた。
 正直、諏訪の言う通り、ただの一般市民でしかない私が、なんらかの理由で今この状況を引き起こしているなんて全然ピンと来ない。けれど、状況と今の諏訪の反応が、私の想像を裏付けている。
 きっと私には今、何かすべきことがある。

 だから、多少卑怯な方法を使っても、諏訪の頑固な優しさを覆さなきゃいけないと思った。

「私の友だち、アイツに食べられたの」
「……それは、」
「最初に助けてくれた隊員さんも、やられちゃって。日佐人くん、あんな年下の子まで、身代わりにして。このままだと、街に被害が出るかもしれないんだよね?」

 それに、と続けた声が、思い切り震えた。

「諏訪も、食べられちゃうかもしれない……」

 涙が出るのはこの際好都合だった。この男には泣き落としが通じるんだ。昔の女の分際で、諏訪の弱点につけ込むのは気が引けるけれど。
 諏訪が、私の知っている諏訪のままなら――最後は絶対、私のわがままを聞いてくれる。

「諏訪、私、自分にできることがあるなら、危なくても、大変でも、逃げたくないよ」
「…………」

 その時、再び近界民が前進を始め、足場が振動し始めた。
 私たちより少し低い建物の上で、堤くんが両手の銃を構えている。
 近界民は、目の前に対峙する堤くんではなく、確実に私を見ていた。

「諏訪!!」

 いつか諏訪にやられたように、彼の両肩に手を置いて無理矢理目を合わせた。右手の感覚がないので、上手く力は入っていないけれど、絶対逃さないという気迫は伝わったようだった。

「……〜〜〜〜クソッ!!」

 諏訪の両手が、勢いよく私の両手を掴み上げた。
 表情から迷いは全然消えていなかった。それでも、私を見つめる三白眼には、覚悟めいたものが宿されていた。

「おめーがやるっつったんだからな!」

 そうして、その手が今度は私の背中に回され、引き寄せられていき――――
 唐突に、何の感慨もなしに、本当にあっけなく。
 2人の唇が重なっていた。

 瞳を閉じる情緒などなく、思考停止したまま、ただ目の前の諏訪の顔を凝視する。
 諏訪は、さらに角度を変えて押し付けてくる。知らない味、これ、タバコの……?
 けれど、後頭部を支える手の角度とか、薄い唇の形、胸がキュウッと甘く痺れる感覚が、かつて私を夢中にした恋人と同じキスだった。
 大きな手で頭をすっとひと撫でして、唇が離れていく。

「――堤、悪ィ、とりあえず30秒稼げ」
『堤、了解、なんとか……!』

 へなへなと力が抜けていく私の腰を器用に支えながら、諏訪は膝立ちになった。
 なおもしっかりと抱き寄せられ、密着させられている。意味不明すぎる行動に、私以上に挙動不審な嵐山くんの視線がいたたまれない。

「おサノ。俺のトリオン量、今どうなってる。あぁ? だからトリオン量だよ、早く出せ」

 私への説明を完全に放棄して、諏訪は誰かと会話を始めた。相手の声は聞こえてこない。けれど、どうやら嵐山くんには聞こえているようで、一転して緊張感を漂わせ始めた。

「マジか、すげえな。こりゃ……俺の戦闘体じゃ長く持たねーか?」

 どこか呆れたように、感心したように諏訪が呟いた。
 その顔に、突然ピシリと亀裂が入り、思わず悲鳴を上げた。大丈夫だというように、腰に回った手に力がこもる。亀裂からは、気体のようなものが漏れている。

「ギリギリまで出力貯める。おサノ、活動限界までカウントしろ。――嵐山」

 ようやく腕の力を緩めて、諏訪が立ち上がった。

「俺が緊急脱出したあと、こいつ頼むな」

 見上げた諏訪は、不安と名残惜しさとが入り混じったような、見たことのない顔をしていた。縦に走った亀裂がさらに広がっている。
 私は、自分が何かとんでもないことを彼に望んでしまった気がして、早くも後悔していた。

「すいません、俺もトリオンがもう」
「充分だ堤、よくやった」

 撤退してきた堤くんを下がらせ、諏訪は敵を見据えた。いつの間にか両手の銃が復活している。
 近界民は、周囲の建物などまるでないものかのように、破壊を続けながら真っ直ぐこちらに向かって来ている。不気味な目玉の前には、あのバリアのような透明な壁。

「は、このデカブツが、手こずらせやがって」

 不敵なセリフとともに、2挺の銃口が敵の頭を捉えた。

「…………吹っ飛べ!!」

 先ほどまでとは別次元の、まるで雷が直撃したかのような衝撃音。

 巨大な敵は、その頭を何発もの散弾で撃ち抜かれ、首から上が無惨に消滅した状態で、その場に崩れ落ちていった。