SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

1-6 上層部面談

 無数の機材が電子音を刻み、化学的なにおいの充満する白い部屋で、私はぼうっと思考を揺らしながら、しばらくされるがままに身を委ねていた。

「緩かったり、辛かったりする部分はないですか?」
「大丈夫です」

 問いかけを受け、軽く力を入れてみるけど、肩からガチガチに固められた右半身は数ミリたりとも動かない。病衣の上から真っ白い布が何層にも巻き付けられ、隙間から点滴の管やら何かのコードやらが無数に生えている。客観的に見るとなかなかに仰々しく、ちょっと間抜けだ。その状態で私は車椅子に乗せられていた。

「まったく、本来は絶対安静なのに……」

 医者らしき白衣の男性が何度も同じことを呟いている。彼の見立てでは、私は最低でも全治4週間かかる怪我らしい。鎮痛剤が効いているので、今はそんなに負担は感じていないのだけれど。それより、なぜかボーダーの偉い人たちが私に面談を求めているという事実に緊張しまくっている。
 とにかく動かすな、安静に、と繰り返し言い聞かせられる中、入り口がノックされた。

「嵐山です」

 部屋に嵐山くんが入ってきた。病院に搬送される際に付き添ってもらって以来、数時間ぶりだ。彼には随分面倒をかけてしまっているのだけど、どうやらこの先の案内役も彼らしい。車椅子と点滴スタンドを引いて廊下に連れ出される。

 ここはボーダーの本部基地だ。総合病院で治療を受けた後、私だけ何やら専門的な検査が必要とかで、友人たちを残してこちらに移された。三門市のランドマークとも言える巨大な施設だけれど、関係者以外は滅多に立ち入ることができない。当然私も初めて入ったわけで、こんなに本格的な医療設備があるんだとちょっとびっくりしている。
 まさか人生でボーダー基地に入る機会があるとはなぁ、としみじみ思う。4年半前に壊滅した跡地、かつて私が住んでいた家の真上にこの基地は建っている。もう少し感慨深いかと思ったけれど、施設内はほとんど窓がなくて、それこそ病院のような殺風景なので、あまり実感は湧かなかった。

「すみません、こちらの都合で連れ回してしまって。怖い目にあったばかりなのに」

 嵐山くんが車椅子を押しながら申し訳なさそうに言った。顔を見上げたかったけれど、ぐるぐる巻きの包帯が可動域を狭めていて無理だった。仕方なく正面を向いたまま答える。

「ううん。私は助けてもらった身だから。それより私の方こそ、嵐山くんに迷惑かけまくっちゃって」

 近界民が倒された後、突然諏訪が光になって消えてしまって、私はパニックに陥った。半狂乱状態だった私をなだめて落ち着かせてくれたのは嵐山くんだ。あの時の取り乱し様は今にして思うとかなり恥ずかしい。先輩の威厳はもはや皆無である。

「貴女のことは諏訪さんに頼まれましたから。それに、迷惑というのも全然です。こちらの指示に非常に協力的でしたし、あ、真っ先にバイト先に連絡してほしいとは言われましたけど」

 あはは、と彼は軽く笑うが、こちらとしては死活問題だったので許してほしい。無断欠勤でクビなんてとても困るし、なによりほかの従業員さんに迷惑だし。

「自分のことは一切聞かなくて、諏訪さんと、ご友人と、バイトのことばかり心配するので、少しだけ諏訪さんの気持ちが分かりました」

 長い廊下を経て、車椅子がエレベーターの中に入っていく。諏訪の気持ち……どういう意味だろう。相変わらず嵐山くんの顔を見ることはできない。

 パネルに表示された数字がカウントアップしていくのを眺めながら、先ほど知らされた事実を思い返す。
 サイドエフェクト――どうやら私はそういう名前の特殊体質を持っているそうで、ボーダーの偉い人が話したいのもその件らしい。いかにも理系然とした男の人に事前に説明を受けたけど、専門用語が多くてさっぱり分からなかった。
 ただ、私はこの体質のせいで近界民から狙われやすいこと、ボーダーが私を保護したいと思っていることについては、とりわけ丁寧に説明されたので、なんとなく理解できた。

 エレベーターを降り、再び似たような廊下を進んだところで車椅子は止まった。ドア横についた「会議室」のプレートは、黒字に金のフレームで、この最新鋭の施設にしては無駄に格式張った印象を受ける。
 2回のノックに、中から低い男性の声が答えた。それを確認し、嵐山くんがドアノブに手をかける。

「! すわっ……」

 部屋に入った瞬間、諏訪の後ろ姿が目に入って、思わず声を上げそうになった。けれど、しんと張り詰めた空気がそれを咎める。慌てて言葉を飲み込み、おそるおそる室内を見渡す。
 奥の一面がガラス張りの広い部屋。とっぷりと更けた夜の警戒区域は、民家の灯りがない代わりに星空を瞬かせている。部屋の中央には大きな会議机。ぴしりとスーツを着た30〜40代の男性6名が向かい合って座っている。厳しい表情の人、生真面目さを醸し出す人、自然体で余裕な人。いずれも視線はこちらに向けられていて、迫力に萎縮してしまう。
 たまらず諏訪に目配せする。諏訪は、机の1番手前側で、入り口に背を向けて立っている。振り向きざまに私の有様を見て、一瞬顔を強張らせたけれど、少しして困ったように眉を下げた。痛そーだな、と声を発さずそう言ったのが分かった。
 良かった……諏訪、ちゃんと無事だった。

 着席している男性陣の中に、すでに顔見知りの方がいた。医務室でご挨拶した忍田さんと鬼怒田さん。最初に沈黙を破ったのは鬼怒田さんだ。

「怪我をしているところご足労痛みいる。嵐山もご苦労」

 忍田さんが立ち上がって、手前の椅子を退けた。そこに車椅子ごと案内される。ちょうど諏訪と横並びになる形だ。
 嵐山くんは私の車椅子を設置した後「失礼します」と一礼して退室した。

「諏訪も座れ」

 忍田さんに言われて、諏訪が隣に座った。

 長机の対面、1番奥側に位置する男性が、わずかに身を乗り出して私たちを見据えた。ボーダーの巨大なエンブレムを背後に、悠揚迫らぬ佇まいが風格を匂わせている。顔に目立つ大きな傷。それがなくとも、鋭い眼光には貫禄があり、この空気を支配しているのは彼なんだなと一目で分かる。
 その彼が口を開いた。

「初めまして。私はボーダー本部司令の城戸だ。この組織の最高責任者を務めている」
「は、初めまして、高槻です……」

 緊張でしどろもどろな返事になってしまった。さりげなく自分の左手首に目線を落とす。黒い腕時計型の機器は心拍を測っているのだと、これをはめた理系のお兄さんが言っていた。今のは少し跳ね上がった気がする。
 そんな私に気づいてか、城戸さんは心なしか話すスピードを緩めて続けた。

「突然連れて来られて困惑していると思うが、きみにはどうしても聞いてほしい話がある。ああ、その前に」

 城戸さんの視線が鬼怒田さんに向けられた。

「開発室がきみに協力いただいたと聞いた。私からも感謝を申し上げる」

 城戸さんに促された鬼怒田さんが大きく頷く。

「彼女の助力のおかげで、障壁の強度に回すトリオンを大幅に増強することができたわい。こいつが貼れれば、48時間程度はゲートを強制封鎖できる。設置にはまだ1日かかるがな」

 実は大学のほかにも、今日になって突然、警戒区域外のゲートが多発し始めたらしい。その原因が分かるまで、街全体にバリアのようなものを貼るのだと鬼怒田さんは言っていた。私の元を訪れたのは、それに必要なエネルギーを提供してほしいという依頼のためだった。
 謎の装置に手をかざしただけで、痛くもなんともなかった。感謝されても、自分が何かした実感がなくて戸惑ってしまう。

「我々が防衛のために用いる技術にはトリオンという生体エネルギーが欠かせない。トリオンは人が自然に生み出すことのできる力だが、きみはその生成を何倍も効率化できる体質を持っている。ここまでは理解しているかね?」

 城戸さんの問いに、私は自信なさげに頷いた。
 ふむ、と相槌した城戸さんが、今度は忍田さんに説明を促す。諏訪や嵐山くんの直属の上司だという忍田さんは、先ほどわざわざ医務室にお見舞いに来てくださっていた。

「きみのように特殊な能力、我々はサイドエフェクトと呼んでいるが、それを持つ人たちをボーダーでは優遇して迎え入れている。理由の1つは、その力を防衛任務に活かしてもらうため。SEはボーダーにとって大きな戦力となり得る可能性がある。戦闘員以外でも、様々な部門での活躍を期待している。もう1つは、敵に捕らわれないよう保護するためだ。捕虜となった能力者が、後に我々の脅威にならないとも限らない」

 敵、という言葉に無意識に身体が強張るのを感じた。どうあっても自力では抗えようもない恐怖が、もうずっと私の中でトラウマになっている。
 今日、改めて記憶に植え付けられた、近界民に射すくまれる恐怖。

「トリオン量の多い者はただでさえ敵に狙われやすい。きみの場合は、その……周りの人間も……」

 その懸念については私も薄々そうじゃないかと考えていた。周囲に影響を撒き散らすという私の体質。その性質が私の解釈通りなら……多分、私の側にいるだけで、無関係な人たちも危険に巻き込まれることになる。
 言い淀んだ忍田さんは、静かに首を振った。

「いや、きみが気に病むことではない。そうならないように我々も力を尽くそう。――どうだろうか。もしきみが我々に協力し、ボーダーに所属していただけるなら、特例の保護プログラムによって最低限の保証はさせていただく。生活資金の援助、住まいもボーダー基地内の宿舎を提供しよう」

 大筋は医務室で受けた話の通りだった。彼らは私の能力が欲しい。そして身柄を確保したい。その代わりに生活を援助するし、危険から私を守る。組織の幹部が直々に提案するくらいなのだから、きっと重要なことなのだろう。
 返答に困って黙り込んでしまった私に、忍田さんがやんわり声をかけた。

「もしや、卒業後に希望する進路が?」
「いえ……」

 たしかに私は、大学卒業のタイミングで三門市を出ようと考えていた。けどそれは、別段やりたいことがあってなわけじゃない。単にこの街に未練が無くなってしまったからだ。
 普通に考えれば、お請けする話なのだと思う。この街、いやこの世界はボーダーによって守られている。恩恵だけ受けて要請を拒否するのは違うと思うし、何の取り柄もない私が、彼らの役に立てるならばむしろ光栄とすら思う。
 けれど私にはまだ、自分に何か特別な力があるという実感がいまいち持てていないのだ。協力する内容というのも想像ができない。
 なにより、諏訪が私のことを隠そうとした。そこには何か理由があるんじゃないだろうか。

「すぐに答えを出せることでもあるまい。後で詳しい保証内容を書面にしてお渡ししよう」

 城戸さんがそう言ってくださったおかげで、気まずい時間が断ち切れ、ようやく息をつくことができた。
 この話はいったん保留、そう安心したのもつかの間。

「諏訪隊長」

 城戸さんの厳格な眼差しが、今度は諏訪を捉えてその名を呼んだ。

「次はきみの件だ。正直に答えたまえ。きみは、彼女、高槻さんのサイドエフェクトについて、その能力を知っていて意図的に我々に報告しなかった。相違ないか?」

 場の雰囲気が一転、ビリビリと刺すような空気に変わる。私に対するものとは明らかに違う強い語気。内容こそ質問の形式を取っているものの、そこにはあからさまな非難の意図が込められている。
 この場にいる全員が諏訪に注目していた。針のむしろ状態にあって、諏訪の横顔にも緊張が見てとれた。

「はい」

 はっきりとした肯定に、私は胸を詰まらせた。

「いつから知っていたんだね」
「俺が正隊員になってすぐ。2年前です」

 ドン、と机を打つ音が抗議を唱える。

「しゃあしゃあと答えおって。貴様は、その報告を怠ったがために、今日どれだけの被害が出たのか分かっとるのか。なぜせめて現場確認後すぐに情報を共有しなかった!」
「たまたま犠牲者が出なかったのは運が良かったですがね、大学の一部施設は壊滅、一連の事件の中でも最も派手な損害を出している。メディアの攻撃はここに集中するでしょう。防げたはずの損害を出した責任は取るべきでは? 諏訪隊長」

 突然始まった集中砲火に、私は混乱した。
 なんで諏訪が責められているのだろう。話を聞く限り、あの近界民が通常以上に暴走したのは私のせいだ。諏訪は悪くない。アレをやっつけたのは諏訪じゃないか。私のことを報告しなかったから? なぜ諏訪は私を隠したんだろう。何かから庇って……何から……?
 諏訪が責められているのは、私のせい?

「何よりも」

 城戸さんの低く渋い声色が重く響き渡る。

「ボーダー隊員は、街の防衛を最優先に考え行動する義務がある。きみの行動は、単なる報告漏れというより、組織に対する隠匿行為と受け取っている。実害も出た以上、看過できる問題ではない。ましてやきみは隊長だ。ことと次第では、除隊処分も覚悟してもらおう」

「――――待ってください!!」

 気がつけば、私は大声を張り上げていた。
 諏訪に刺さっていた針のような視線が、今度は私に降り注いだ。深く考えずに発言してしまったことを後悔する。けどもう後戻りはできない。

「高槻?」

 諏訪が困惑した様子で私を見つめている。心細くて思わず縋りたくなるのをぐっと堪え、祈るような気持ちで前を見据える。

「あの、私。さっきのお話、お請けします。なるべくお役に立てるように頑張ります。だから、その代わりに、諏訪の処分を免除してください」

 震える声で、なんとか主張を言葉に乗せることができた。
 しんと静まり返る会議室。何を馬鹿な、そんな考えが幹部陣の顔にありありと浮かんでいる。鬼怒田さんが呆れ調子のため息とともに嗜めるように言う。

「きみ。さすがに組織の人事処分について部外者に口出しはさせんよ」
「……っ」

 至極もっともな意見を返された。情けなくて涙が出そうだ。私が持ってる交渉カードなんてこれしかないのに。
 諏訪がなぜ私のことを隠そうとしたのかは知らない。けれど、隠していたことがバレたのは確実に私のせいだ。私が、諏訪の事情なんて何も考えずに、あんなわがまま言ったから……。
 こいつはきっとこうなることを分かっていた。近界民に向かっていくあの時の顔が頭から離れない。
 なけなしの勇気を振り絞る。諏訪が積み上げてきたものを、こんなことで台無しにさせちゃダメだ。

「もし、私がこの話を請けなければ、みなさんは困るんですよね。だったら私にも発言権があるはずです」
「何?」
「諏訪が除隊になるんなら! 私、今すぐ三門から出ていきます!」

 切羽詰まった私の切り札は、筋も何も通らないめちゃくちゃな脅しだった。
 何言ってるんだろう、と冷静に思う頭がある一方で、この条件は絶対に譲れないという強い気持ちが私を支えている。
 意外なことにそれなりの効果はあるようで、幹部陣の顔色が変わった。私がいなくなると困るのは本当らしい。

「ごめんなさい……諏訪には、恩があるので。私のせいで辞めさせられたくないです。処分が避けられないなら、私が代わりに受けます」
「ばっ、おい高槻!」

「なるほど」

 どよめきを収めたのは、またも城戸さんだった。革張りの椅子をぎしりと軋ませ、何かを思案するポーズをとる。
 伏せられた両目が、細く開かれる。

「きみの言う通り、きみが目の届かないところに行ってしまうのは我々に都合が悪い。諏訪の除隊免除が交換条件だというなら一考しよう」

 鬼怒田さんが何か言おうとするのを、城戸さんは片手で制し、「だが」と続けた。

「彼は一度我々の信用を失っている。きみという存在が絡むとどうも彼は任務の優先順位が変わってしまうようだ。そこで、諏訪隊長には除隊を免除する代わり、《記憶封印措置》を施すというのはどうだろうか」
「城戸司令! それは……!」

 今度は忍田さんが激しく反応した。私は耳慣れない言葉の意味を考える。
 記憶封印措置。

「彼がきみのことを一切忘れてしまえば、こちらの不安材料も消える。きみの希望を叶えられるだろう」

 その提案が冗談でもなんでもないことは、幾度も冷徹な判断をしてきたであろう人間の、酷薄な双眸が物語っていた。

 人の記憶を封印するなんてことが可能なのか、私には分からなかった。できたとして、それが倫理的に許されるのかどうかも。
 けれど、ほかでもないボーダーのトップがやると言っている以上、やれるし、やるのだろう。その前提で話を進めなければいけない。

 諏訪はボーダーに残れる。ただし、私の記憶と引き換えに。

 この条件で何か差し支えがあるかというと、とくには思い浮かばなかった。
 諏訪と私はもう2年も距離を置いていたし、こんな状況にでもならない限りは話すこともなかった。私は卒業したら三門を出るつもりだった。そうしたら、諏訪とは一生会うこともなかったはずだ。
 お互いに記憶は薄れていって、いつかは忘れる。それが、ちょっと、早まるだけ……。

 目頭に、潤んだ熱が集まってくる。

(嫌だ……忘れてほしくないよ……)

 感情は、理性なんかよりずっと正直で、ずっと強い。

 私を忘れた諏訪が、なんのしがらみもなしに私に話しかけてくる。――多分、耐えられない。気まずくて避けられている方が何倍もマシ。
 私のことを好きじゃなくても、私と出会ったことを、2人で過ごした日々を、なかったことになんてしないで。
 そんな自分勝手で気持ちの悪いエゴが、私を完全に黙らせてしまった。
 葛藤を悟られたくなくて顔を俯かせる。無駄な抵抗だ。私の動揺は、左手首の機器を通して逐一彼らにモニタリングされている。
 自分の思い上がりを痛感した。諏訪を庇えるなら、多少の困難は受け入れるつもりだった。それなのに、結局は自分のつまらない願望に振り回されている。小娘の浅知恵なんて、交渉相手には最初から取るに足らないものだった。

「――城戸司令」

 沈黙を打ち破ったのは、ぐちゃぐちゃな感情に今にも押しつぶされそうな私、ではなかった。
 諏訪が、椅子を引いてその場に立ち上がる。そしておもむろに腰から上を折り曲げた。

「俺の独断が招いたことで、多くの方にご迷惑をかけ、すいませんでした」

 会議室全体に響き渡る声で、そう言ってたっぷり5秒以上は頭を下げ続けた。
 大人たちは意表を突かれた様子だ。先ほどまでの空気がリセットされ、全員固唾を呑んで成り行きを見守っている。
 顔を上げた諏訪が発言を再開する。

「俺は2年前、こいつの能力に思い当たって、それを隠しました。その時の俺はB級に上がりたてで、ボーダーって組織を信じちゃいなかった。こいつを差し出したら、戦争のためにただ良いように利用されるんじゃねえかと、ひょっとしたら、こいつが嫌がることを無理やり強要されるんじゃねえかと疑って、咄嗟に逃がそうと思ったんです」
「きみねえ!」
「けど今は」

 飛んでくる罵声を遮り、言葉を継ぐ。

「俺もあんたたちのことを知ってる。当然、こいつの権利は守られ、対等に扱ってもらえるもんだと信じてます」

 城戸さんの眉がわずかに歪められた。今まさにすごく嫌なことを受け入れそうになっていた私は、その言い回しが牽制のようにも感じられた。

「……当然だ」

 城戸さんは変わらず感情の乗らない声で言い放った。

「謝罪は受け入れよう。しかしそれできみへの処罰が無くなるわけではない」

 2人の対峙を、私はただハラハラと眺めているしかできなかった。何も言えなくなってしまった私の代わりに、諏訪が自ら矢面に立ったのは明らかだ。
 自分の行動が毎度諏訪を追い詰めてしまう。不甲斐なさと申し訳なさを抱きながら見上げた彼は、けれど、想像よりも焦りがなく、ただ真摯に目の前の人物に向き合っていた。

「ボーダーでのこいつの面倒は俺が引き受けます」

 怪訝そうに睨まれるのも構わず、諏訪は続けた。

「こいつのSEは、なんつうかトラブルの元だ。敵はもちろん、内部的にも存在が広まるとややこしいんでしょう。実際に他の一部のSEや黒トリガーなんかも情報統制が敷かれてる。扱いについて派閥が出来かねないからっすよね。あんたたち的には、こいつのことを知る人間も最小限に抑えたいはずだ。
 一方で、こいつを本格的に匿うならボーダーに所属させる建て付けがいる。いざって時用に緊急脱出も付けたいだろうし、護身を考えても、隊員にしちまうのが手っ取り早い。そうなるとトリガーの扱いを指南する必要があるわけだが、わざわざ事情を知る人間を増やしたり、A級の手をわずらわせたくはないでしょう。
 俺なら基地内でこいつの面倒を見てやれます。記憶飛ばすより、そういう使い方の方が都合いいんじゃないですか」
「それで打診しているつもりか。今さら我々がおまえを信用するとでも?」
「少なくとも、こいつの身の安全に関わることなら、すでにある程度信用置かれてると思ってます」

 諏訪の意見に対する反応は三者三様だった。
 鬼怒田さんと、お隣の……根付さん? は、終始苦虫を噛み潰したような顔をしている。忍田さんは、腕組みの姿勢で真剣な面持ちを携え、お名前の分からないメガネの方は、面白いものでも見つけたように好奇な目を向けている。城戸さんは、相変わらず難しい表情だけれど、どこか機嫌を損ねたように眉をひそめていて。私は、会話の内容をほとんど理解できずに、ただ諏訪の堂々とした振る舞いに唖然としていた。
 誰も口を挟まない中、ふっと誰かが息を漏らす音が聞こえた。一瞬緊張の糸が緩んだそのタイミングを皮切りに、その人物はくつくつと笑いをこぼし始めた。

「失礼。いや、彼の意外な一面に感心しましてね」

 横やりを入れたのは、今まで一度も発言のなかった男性だった。明るい髪色、明るいスーツ、派手なネクタイと、この並びにおいては異色な身なりをしている。言葉に反し笑いを堪える気もなさそうに、彼は城戸さんに進言した。

「いいんじゃないですかね、私は賛成です。諏訪隊長は彼女と学校も同じですし、護衛としても適任だ」
「唐沢くん、あまり無責任な発言は……」
「ああいや、もちろん、一意見として。決めるのは城戸司令ですよ」

 鬼怒田さんの苦言を飄々と躱し、捉えどころのない笑みを今度は私たちに向ける。

「彼女にしても、騎士ナイトが側にいた方が安心して協力してくれるでしょうし」

 諏訪が、うぐ、と思いきり顔をしかめた。こいつはこういう茶化されるような言われ方をすごく嫌う。一応は味方らしい彼の援護射撃なので、反論は飲み込んだようだけど。
 張り詰めていた空気がどことなく和らぎ始めた。城戸さんは片肘をついてそこに額を乗せながらため息を吐いた。

「高槻さん」
「は、はい」
「確認だが。諏訪隊長が今まで通りボーダーに所属しているという条件下なら、きみも我々の要請に応え、三門に留まるという意向で間違いなかったかね」
「えと……記憶がなくなるみたいな話は……」
「その件は聞かなかったことにしてくれて構わない」

 胃を鷲掴みにされていたような圧迫感が、ゆるゆると解けていった。
 脱力したことで、今になって全身の震えを感じ始める。
 ちらりと横に視線を流す。諏訪もこちらを横目で見ていて、目が合った私に小さく頷いたのが分かった。
 私は気を落ち着かせるために呼吸を繰り返し、答えた。

「はい」

 返答に頷いた城戸さんが、顔の前で両手の指を組み直し言明した。

「諏訪隊長。きみには隊務規定違反のペナルティとして、1,500ポイントの没収、10日間の謹慎、1ヶ月間のランク戦参加の禁止を命じる。また高槻さんの入隊後には、彼女の指導および監督役を担ってもらう。本件における沙汰は以上だ」