1-6 帰り道
「居候って、翼ンちにか!?」
「監督といい、ひとつ屋根の下で年上年下美女とハーレム……あイテッ」
前のめりに興味を示す六助。俗っぽい想像を口にし、五助が翼に膝を蹴られる。
フットサル場近くのファストフード店。運動後の育ち盛りらしく、山盛りにしたテーブルを囲んで、麻衣と飛葉中4人はお互いの自己紹介を済ませていた。
麻衣が東京に戻ってきたもろもろの経緯を話終え、関心を向けられたり驚かれたりしたところで、話題を転換させたのは柾輝だ。
「つまり、2学期から麻衣も飛葉中ってことか」
「おっ! せやったら、当然サッカー部に入部やな。ちょうど2年が足らへんことやし」
直樹が、我ながらナイスアイディアとばかり声を弾ませる。
外見からして癖の強い4人だが、話してみると、それぞれ個性的なキャラクターであるとともに、共通して根はいいヤツであるとすぐに分かった。
見るからに悪ガキな出立ちの彼らを、見た目だけは可憐なお嬢様のような翼が束ねているので、側から見ているとなかなかの面白集団だなあ、などと感想を抱きつつ。
麻衣はトレーの上に広げたポテトを1本ずつちびちび齧りながら、どこか他人事のように彼らの会話を傍観していた。
「入部って……女子だぞ、ありなのか?」
「スキル的には問題なさそうだけどな」
「なんやねん、ウチは監督かて女やろ」
「どうせキューピーのヤツが難癖つけてくるぜ」
「大会はどうすんだ?」
やいのやいの。少年たちにより繰り広げられる議論は、おおむね想像通りの堂々巡りだ。
ただ、可否はともかく、是非に関しては、全員自分の入部に肯定的なのがとても嬉しい。
最後の1本を平らげ、満足そうに指先の塩まで舐めとった麻衣は、ようやく自ら口を開いた。
「わたし、前の学校もサッカー部だったよ。マネージャーだったけど」
「マネージャー!?」
その単語に異様な反応を示したのは、直樹・五助・六助の3人だ。ガタガタと席を立ち、顔付きが急に迫真を帯びる。
「女子マネージャー……全運動部男子の憧れ……むさ苦しい男所帯唯一の癒し……!」
「単純と言われようとなぁ、女子の声援があるだけで練習にも身が入るってもんだぜ」
どうやら、健全な男子中学生としての願望が彼らを滾らせたらしい。拳を握り熱く語り出した様子に、なんだか想定外の期待を持たれている気がするが、いったん無視して話を続ける。
「部員80人くらいいる強豪校でね。なんでもするから練習だけでも参加させてくれって頼みこんだら、なんかそういう感じになった」
「それ、マネージャーってか雑用係って言わね?」
「これでも敏腕で通ってたんだから」
えっへん、と胸を張って主張する麻衣。表情は自信に満ちているが、残念ながらあまり頼りがいがありそうには見えない細腕である。
「いいのか? 選手じゃなくて」
柾輝が釈然としない風に問うた。
その指摘ももっともだ。麻衣はサッカーが好きだし、できることならボールを蹴り続けていたい。先ほど対峙した彼らなら、彼女の性質は充分感じ取っているだろう。
だがこれは、麻衣にとってはすでに折り合いのついた問題だった。
「ミニゲームならともかく、さすがに男子に混じってフルコートで試合するだけの体力はないしね。試合にこだわらなくてもサッカーは楽しいから。女子チームの所属も考えたけど、全然知らないチームに入るくらいなら、わたしは飛葉のみんなと一緒にやれたら楽しいかな」
「そんなモンかね」
微妙に腑に落ちて無さそうな返事であるが、柾輝からそれ以上の追求はなかった。
どちらにせよ、最初から麻衣は転校したらサッカー部のマネージャーに立候補するつもりだった。部員たちが歓迎してくれるなら万々歳だ。
あとは部長が何と言うかだが……。
「んじゃ早速、明日から麻衣のこと存分にこき使わせてもらうよ」
しばらく黙っていた翼が企み顔でそう言った。
部長様の意向だ、麻衣の入部は決定事項ということだろう。
わざわざ横柄な言い回しをするので、何をやらされるのかと一抹の不安がよぎったが、それより気になることがある。
「明日?……わたしはいいけど、そういうのって普通新学期からじゃない? 夏休み中に届出とかできるの?」
「どうにかするさ。とにかく、今は練習に人手が欲しい」
その理由を、翼ははっきりとした口調で告げた。
「なんせ、来週から都大会本戦だからね」
***
その後、幼少期の翼のエピソードを中心に雑談に花が咲いてしまい、一同が解散したのは18時を回った頃だった。
あたりに響いていたセミの合奏は、いつの間にかカナカナと物悲しいひぐらしに奏者が入れ替わっている。
まだ十分明るいものの、昼間の刺すような陽射しは落ち着いており、淡い光が道路に長い影を映している。
「なんでそんな難しい顔してるの?」
麻衣は、隣を歩くほとんど身長の変わらない少年の、眉間に力のこもった顔を不思議そうに見つめた。
チラリとこちらを見やる視線と交差する。翼は、心底面倒臭そうなため息とともに答えた。
「帰ったら母さんが、麻衣の件ニマニマしながら待ってると思うと、ちょっとね」
ああ、とその説明ですぐに彼の憂鬱に合点がいく。
そういえば、翼は母親に興味本位のイタズラを仕掛けられていたのだった。本人にとってイタズラと呼ぶには、随分悪趣味かつ迷惑千万なものではあるが。
「翼って昔からおばさんには弱いよねえ」
「そういうお前は何にやついてんだよ、気持ち悪い」
「!」
指摘されて、慌てて両手で表情筋を挟み込む。
まさか顔に出ている自覚はなく、恥ずかしさでみるみる昇ってくる熱を逃がそうとかぶりを振る。
「に、にやついてない! ただ、今日はすごくいい日だなって、思ってただけ!」
取り繕うようにそう言うと、翼の顔からフッと力が抜けたように見えた。
「アイツら、いいヤツらだったろ?」
随分穏やかな言い方をするものだ。
翼のその物言いが意外で、麻衣は両頬を押さえたまま瞳を瞬かせた。
昔からコイツは周りに人間が集まってくるタイプで、友人も多かったが、こんな風に誇らしげに誰かを語ることなどなかったのではないか。それだけに、翼にとって彼らとの関係性が特別であると感じ取れる。
名門私立に進学したはずの彼が、何を思って途中で飛葉中に転校したのかはまだ聞いていない。しかし、少なくとも現チームメイトとの出会いは、翼に良い結果をもたらしたのだろう。
それは喜ばしいことだと思う判明、なんとなく、その間離れていた自分が置いてけぼりにされたような、羨ましいような、何とも言えない感情が滲み出た気がした。
「……ん。たしかに、みんなすーっごくいいヤツだった! けど、今考えてたのはそうじゃなくて」
少々気恥ずかしいながらも、自分の想いも知って欲しいなと、麻衣はたどたどしく言葉を紡ぐ。
「こうやって、サッカー終わって翼と並んで帰るの、久しぶりだなって。戻ってきたんだなーって実感してたのっ」
照れ隠しにそっぽを向きながら、こっそり横目で様子を伺うと、今度は翼の方がその目を軽く見開いていた。
やり返しに成功したようで、多少は溜飲が下がる。
実際、この辺りの道はどこもかしこも翼との思い出ばかりだ。とくに夕暮れ時は2人きりの場面が強く思い起こされる。
麻衣はそのうちのひとつを記憶から取り出した。
「覚えてる? 小4だったかな。わたしが練習に夢中になりすぎて、真っ暗になるまで気づかなくて。あの時も翼、帰り道でおばさんに怒られるの嫌がって、わたしのせいだってずっと文句言っててさ。なのに家ついたら、わたしのこと庇ってくれて。結局、どんな言い訳も通じなくて2人して怒られたんだけど」
「覚えてないよ、そんな昔のこと」
「ええー? あのときの翼、頼もしかったのに」
冷やかすように顔を覗き込むと、鬱陶しそうに睨まれた。この手の話は他にいくらでも出てくるが、これ以上からかうとさすがに機嫌を損ねそうだ。
先ほど引き締めたつもりの表情筋が、気を抜くと再び緩みそうになる。
ずっと再会を願っていた彼と、こんな風にまたくだらない話ができて嬉しい。それに――――
ああそうだ。これだけは言葉にして伝えておかなければ。
麻衣は数メートル先に駆け出すと、立ち止まって翼を振り返った。
「ね、翼。
――――また一緒にサッカーできて、嬉しい!」
2年半越しの再戦が叶って、さらに強くなった幼なじみの実力に触れて、麻衣のテンションは昂ぶりっぱなしだ。
今日だけでも最高の1日だったというのに、明日からは部活という新たな楽しみも待っている。
こんなの、嬉しすぎてにやけるに決まっている。そう開き直って、今度は思いっきり笑顔を作って素直な想いを告げた。
返ってきた翼の反応は、果たして。
「……チッ、麻衣のくせに」
「!? 今舌打ちするとこだった!?」
逆光でよく見えなかったが、しかめっ面で流された。
特別な言葉を期待していたわけではないが、せめて笑い返すくらいはしてくれるだろうと勝手に思っていた麻衣は意気消沈する。
やはり、こんなにも再会を待ち望んでいたのは自分だけだったかもしれない。それなりに特別だと思っていた関係値は、会わない間にリセットされてしまったのだろうか。
気づけば口数も少なくなって、足速に自分を追い抜いていく翼の後ろを、麻衣はそこそこ落ち込みながら追いかけた。
彼女は気づかない。
この日、椎名翼には、母親とはまた別の意味で、下手をすればそれ以上に手を焼かされる存在ができてしまったことに。
随分低くなった西日が、鮮やかなオレンジ色の光を2人の背に落としていた。