椎名翼の幼馴染

1-7 飛葉中①

 翌日からサッカー部所属となった麻衣は、早速飛葉中のグラウンドを駆け回っていた。
 首にホイッスル、手にはストップウォッチ、板についたマネージャースタイルである。長いツインテールには今日も白いシュシュが留まっている。

「おい黒川! 誰だよあの子、あの髪長い子!」
「2年の転校生ってマジ?」
「あー、マネージャーな。今練習中だからお前らもう戻れ」

 騒ぐクラスメイトの野球部員を、柾輝は適当な説明で追い返した。
 予想はしていたが、サッカー部は今学校中の噂の的だ。麻衣自身がそもそも目を惹くビジュアルな上に、今まで女の影がまったくなかったあの椎名翼が、グラウンドで何度も彼女の名前を呼ぶものだから、部員たちはあらゆる人間に「あれは誰だ」と質問攻撃を受けるハメになった。
 周囲をザワつかせている本人は「まぁ転校生なんて珍しいよね」と的はずれなことを言っていたが、まさかよく分かっていないのか?

 昨日顔を合わせたメンバー以外の部員たちは、突然のマネージャー加入に戸惑った様子だが、他ならぬ部長の推薦ということで一応容認したようだ。
 練習の合間、彼女のもとにはドリンクの順番待ち列ができている。

「くう、ほんまに俺らの部にマネージャーが」

 受け取ったボトルを握りしめて、直樹が感極まった。サッカー部員になったからには、かわいい女子にドリンクを手渡されるのが夢だと、いつかアホなことをぬかしていたことを思い出す。
 柾輝の足元にもスクイズボトルが置かれている。憧れシチュエーションはともかく、今まで持ち回り制だったドリンク作りから解放されたのは普通にありがたい。自分の当番を忘れ、翼にブチギレられることもこれでなくなるだろう。

「つか、言うだけあってめっちゃ働くな」

 柾輝は素直に感心していた。
 しばらく目で追っていたが、強豪仕込みだと豪語する彼女のマネージャー手腕は実際大したものだった。
 備品の場所をいち早く覚え、練習に必要なものを手際よく準備する。何でもかんでも雑に押し込まれた用具入れに絶句していたが、先ほど見たら綺麗に整頓されていた。思った以上の有能ぶりだ。

「だって、早く仕事終わらせたら、その分長くボール蹴れたんだもん」

 というのが、てきぱきした仕事術を身につけた理由らしい。涙ぐましい努力である。

「おら柾輝、よそ見してんなよ」
「へーい」

 翼の叱責を受け、正面に向き直る。
 今は各自ペアを組んでのロングパス練習が始まったところだ。マーカーで自分の周りを囲い、そこから身体を出さないようにして、10mほど離れた相手の位置にパス、ボールが来たらトラップする。ここのところ定常化している基礎練習メニューである。
 柾輝と組んでいる1年の堀江は、FWとしてクロスボールを受ける機会が多い。そのため浮き玉を正確にコントロールしなくてはならないのだが、どうも足元が苦手で、トラップの際にたびたびマーカーの外へボールを出してしまっている。

「堀江ー、軸足硬すぎだ、もっと力抜けー」
「は、はい!」

 素直にアドバイスは聞くのだが、いまいち身体に落とし込めていない。こればかりは感覚を掴むまでやるしかないが、本人は焦っているのだろう、どんどん調子が悪くなっている。
 どうしたものかと思っていると、翼が声を張り上げた。

「麻衣、ちょっと!」

 呼ばれた麻衣が、小走りでこちらに駆け寄ってくる。

「堀江の隣で、トラップ見ててやってくれない?」
「ん、了解。よろしくね堀江くん」

 隣に立った麻衣に、堀江が顔を赤くして緊張している。女子に耐性ないだろうに、逆効果ではないだろうか。
 その状態でとりあえず3往復する。麻衣は大きな瞳をクリクリさせて堀江の挙動を見つめている。堀江は緊張のあまり、最後の1回をスカした。

「なるほど」

 麻衣は堀江が取り損ねたボールを止め、軽くリフティングを挟んで拾い上げた。

「足がボールを追いかけちゃってるね」
「え? はい、止めなきゃいけないので……」

 身長の高い堀江は、先輩と話すときは必ず膝を折って身を縮める。麻衣相手でもそれは変わらないようで、照れも相まってより謙虚な物言いになっている。
 麻衣は空中を見上げて少し考えるポーズをした後、堀江のマーカー内に入り、柾輝にボールを蹴ってよこした。寸分違わず足元に落ちてきて、あらためて技術レベルの高さを知る。
 なんだなんだと、周りの連中もこちらに注目している。
 麻衣が身振りでパスを要求するので、柾輝は相手の枠内に収まるよう、丁寧に蹴り返した。

「トラップのときは、ボールを追いかけるんじゃなくて――」

 言いながらモーションに入ると、長い髪がぴょこんと跳ねる。

「待ち構えるみたいに、ボールの落下地点に足を用意しておくの」

 右足インサイドで受けたボールは、ほとんどバウンドせずに足元に収まった。
 浮き玉のトラップは勢いを殺すのが難しく、ボールが跳ね上がってしまう。そうなると次のプレーまでのテンポが悪いし、敵にボールを奪われやすい。今のようなビタ止めトラップを実戦でできたら、敵にアクションさせる隙を与えずスムーズに自分のプレーに移行できるだろう。
 見事な実演に、堀江だけでなくほかの部員も食い入るように麻衣の足元を見つめた。

「いまので、違い分かった?」
「ええと……なんとなくは……」

 うまく言葉にできない堀江をフォローするように、麻衣は頷いた。

「トラップは足を引けってよく言われるじゃない? 空中でボールを迎えに行っちゃうと、反発する力が加わるし、軸足も不安定だからうまく中央に当たらないの。ボールの軌道を最後までしっかり見て、その延長線に自分の身体を入れて待ち受ける。そしたら自然に力が抜けると思うよ」

 実際にボールの軌道や足の振り方をシミュレーションして見せながら、教師のように分かりやすい説明。今までにない視点からのアドバイスに、堀江は、やってみます!と張り切って返事をした。
 盗み聞きしていた他のメンバーたちも、今の説明を自分のプレーに取り入れ始めたようだ。

「そうそう!今のはボールタッチすごい良かった。くるぶしらへんに当たっちゃってたから、インサイドの広い面でキャッチするイメージでね」

 劇的に改善とはいかないまでも、堀江も要領を掴みつつあった。意識すべきポイントが分かったことで、集中して練習に向き合えたのだろう。

 パス練習終了時には、彼はもっとやっていたかったと少し名残惜しそうな顔をしていた。

 

***

 

「アイツはさ、目がいいんだよ」

 グラウンドを眺める柾輝に、翼がネタばらしというように語り始めた。
 今は休憩時間だが、堀江との練習で信頼を得た麻衣が、1年生トリオに変わるがわるアドバイスを求められている。先ほども思ったが、言葉を使って人に教えるのがすこぶる上手い。

「目? あー、たしか両目とも視力2.0ってさっき自慢してたな」
「山ザルかアイツは。そうじゃなくて、アイツの良さは観察眼なんだ」

 むしろそこ以外センスがない。
 そんな辛辣な翼節を交えつつ、彼曰く、フィジカルも運動神経も凡人以下の麻衣が上達するための武器として磨いたのが、その観察眼なのだという。

 麻衣が集中しているとき、1点をじっと見つめる癖があるのは柾輝も気づいていた。
 それはたとえばファストフード店でメニューを前にしたときもそうだったし、メンバーが自己紹介しているときも、先ほど堀江のトラップを見ていたときもそうだ。瞬きが少なくなり、少し目の色が変わったように見える。
 彼女は表情豊かなタイプではないが、存外分かりやすい。不満、不安、喜びといった感情が、表情筋以上に目に出るのだ。何かに興味を持つと、対象から一切視線が離れなくなるのが、面白い性質だなと密かに思っていた。

「俺らも人の動きを見て参考にすることはあるけど、アイツのそれは見てる粒度が違う。目線、身体の向き、体重移動、あらゆる関節の角度――そういう細かい変化を秒単位で分解して、ひとつひとつ再現可能な状態まで理解してるのさ」

 たとえばボールコントロール。翼や柾輝であれば、何度か実践する中で、感覚的にコツをつかむ部分が多い。
 しかし、麻衣にはそれができない。がむしゃらに努力したところで、技術を習得するのに人一倍時間がかかってしまう。サッカーをはじめて1年間は落ちこぼれだったのだ。

 そこで身につけたのが、お手本となる動きを観察し、理解して、自分の動きとの差分を見出すスキルである。
 何か上手くいかなかったときには、正解パターンと何が違ったのかをまず考える。ボールとの接地角度なのか、振りのスピードなのか?
 差分を見つけたら、その部分を徹底的に修正することで、正解を再現する。そうして練習効率を飛躍的に上げ、技術を身につけてきたのが今の麻衣である。

 正解を見出す観察眼とは、「コツ」と呼ばれるものを言語化するスキル、と言い換えることができるかもしれない。
 このスキルの優れた点は、パターン化されたノウハウは他人にも転用できるというところだ。

「アイツの頭ん中には、今まで見つけてきたいろんなテクの再現方法が詰まってる。教科書……というより、攻略本みたいなものだね。教師役にはうってつけだろ?」
「ハ。いろんな才能があるもんだな」

 飛葉中サッカー部には、元Lリーグ選手で実力も折り紙付の頼れる監督がいるが、いかんせん練習への顔出し頻度は少ない。便宜上の顧問はサッカーに興味もないし、このチームを指導しているのは実質、部長の翼である。
 翼も、フォーメーションや戦術の指導では監督並の役割をこなしていると思う。しかし個人技に関しては皆ほぼ自主練で会得している。独学がハマれば良いが、行き詰まっている者もいるだろう。そんなとき、麻衣はいいメンターができそうだ。

「相変わらず、人の使いどころが的を射てるな」
「使えるものは何でも使うってね。――まぁ、アイツもこの2年ちょいで、それだけじゃない何かも得たみたいだけど……」

 言いかけた翼だったが、結論には至っていないのか、それ以上の言及は続かなかった。

「ともかく、都大会まで時間がない。たとえ数日分でも、全員レベルアップして挑むよ」