椎名翼の幼馴染

1-8 飛葉中②

 飛葉中サッカー部は、まぎれもなく椎名翼のチームだ。
 半日の活動を通して、麻衣はそう確証した。

 設立して1年足らずで都大会本戦出場という偉業を成し遂げたこのチームは、その成果に反し、決して環境が恵まれているとは言い難い。
 活動場所として割り当てられているグラウンドは1/4程度。優先権は野球部と陸上部にあり、昨日のように丸一日使えない曜日すらある。正式部員は10名で、助っ人を入れてようやく試合に出られるというのが実態だ。

 大会上位に食い込むようなチームは、対戦相手や選手のコンディションによってフィールドに立つメンバーをコントロールしている。選手層の幅は、とれる戦術の幅と言ってもいい。
 一方、交代枠のいない飛葉中は、どんな局面でも今いるメンバーで対応しなければいけないし、全試合、前後半フル出場という体力的なハンデもある。
 だが、これはこれで必ずしもマイナス面ばかりではないと、実際のチームを見て麻衣は思った。

「翼がCBで……ダブルボランチの……3・4・1・2……」

 呟きながら、バインダーに挟んだノートの新しい面にペンを走らせる。
 11個の小さな円が配置され、それぞれにメンバーの名前が添えられる。

「フラット3……」

 昨日翼から説明されたこのフォーメーションは、近年ヨーロッパで流行っているスタイルらしい。スイーパーを置かず、DFが一直線に並ぶ。それが実際どのように機能するかは、まだ試合を見ていないのであまり想像できていないが、コンセプトを聞く限りではとても画期的に思える。

 フラット3はその強みを活かすため、前線から最終ラインまでの距離をコンパクトに保つことが重要視される。オフェンス時には全員がラインを上げ、ディフェンス時には素早く戻る。つまりスピードとスタミナ、献身性が強く求められる戦術である。
 その前提でチーム構成を見ると、驚くほどピースがハマっていることに気づく。
 足の速いWBに、体格のいいSB。初期メンバー4人が戦術の基盤になっていることは間違いない。
 3年の小林・松原は元陸上部だ。それも中距離走選手。スピード、スタミナは申し分ない。部設立直後に翼が勧誘したらしく、戦術的な意図が透けて見える。
 1年生トリオ、千葉・武富・堀江の3名は、技術的にも未だ発展途上だが、接して分かった。彼らはとても素直でモチベーションが高い。チームへの献身性という意味では得難い素養だ。

 普通の部活チームは、所属している部員の能力を前提として戦術が組まれる。
 だが飛葉中サッカー部は、あたかも「先に戦術があって」必要な能力を持つ選手を外から獲得して作られたような構成なのだ。

(10人しかいない、というよりは、選ばれた10人って感じ)

 部員が多いとそれだけコミュニケーションコストがかかる。「最短」で強いチームを作るのなら、戦術を絞り、メンバーを吟味し、少人数で一体感と練度を上げる方が実は近道なのかもしれない。
 強豪チームにはない、新設チームならではのチームビルディングだ。

 一見不利な条件でも、補って余りある武器を作って乗り越えてしまう。そんな翼の才覚が色濃く現れているのが、この飛葉中サッカー部というわけである。

 

***

 

「今日のミニゲームで気づいたこと、各自言ってって」

 練習終わりのミーティング。部員たちはグラウンドに円陣になるように座り、作戦ボードを持って立つ翼を囲んでいる。部長が一方的にしゃべるというよりは、一人一人に考えさせ発言させる方式のようだ。
 麻衣は円陣の外から様子を眺めている。

「小林と千葉の連携、ハマって来てるぜ。パスからワンタッチのシュート、スピード感が良かった」

「武富と俺のラインを抜かれたタイミングがあったな。あのときは間合いをもっと寄せるべきだった」
「はい、俺も動く前に声をかけるべきでした」

「部長にも注意されましたけど、ボール持ってから一瞬考えてるうちにコース塞がれてることが何度かあって。もっと次のプレーを想定しながらパスを受けれたら」

 麻衣はメンバーの発言を逐一日誌に記入していった。こうして言葉にして振り返るのは重要だ。成長は己の課題を認識することから始まる、というのは彼女の日頃の心得である。

「麻衣は何かある?」

 書記に徹していたので、一瞬、自分に振られたことに気づかなかった。

「へ、わたし?」
「まさかゲーム中ぼーっと突っ立ってたんじゃないよね? 外から見てたんだから、1番客観的に見れるだろ」
「まってまって! ちゃんと見てたから!」

 思考を切り替え、記憶を掘り返しながら、印象に残ったプレーを回想する。

「2ゲーム目の、赤チームの得点シーン」

 翼から作戦ボードを拝借して、赤いマグネットと黄色いマグネットを4つずつ並べる。このゲームで赤いビブスを付けていたのは、柾輝・千葉・五助・小林の4人だ。

「最初五助から柾輝にパスが渡るんだけど、このとき、柾輝には松原先輩がついてて、千葉くんへのパスコースをカバーしてた。柾輝がその位置のままパスを受けてたらまともにチェック入られてたんだけど、位置を3歩前にずらすことでかわしたのね。これがチャンスメイクの1個目」

 話しながら、赤いマグネットをずいっとスライドする。

「で、次に前線の2人。千葉くんと小林先輩が同時に飛び出したことで、DFが一瞬、どちらにパスが来るか分からず混乱してた。サイドにいた先輩があえて中央に走り込んで、敵に選択肢を増やした形だね。これを意図的にできてたのが良かったと思う」

 ボード上で、ボールが描かれたマグネットが、黄色いマグネット2つの間をすり抜けてゴールした。
 抜かれてしまった黄色いマグネット、もとい、武富と直樹が、おおと声を揃える。

「そうか、あの時僕ら、こんな形で釣り出されてたんですね」
「確かに、マークしてた千葉から小林に意識がいってもうて。かー! うまいことやられとるやないけ」

 選手の視界と、全体を俯瞰して見た情報量は別物である。ときにこうした客観的視点を交えることで、戦術理解はより深まっていく。

「しかし、よく8人全員の動き、こんな細かく覚えてるな。ボール持ってないやつの位置まで」

 六助が驚いたように麻衣の解説を評価した。彼はこのとき休憩ターンだったので、コートの外から試合の流れを見ていた。条件的には麻衣と同じだが、ここまで全体を詳細に説明できるかと言われると心許ない。

「わたし、記憶力は自信あるんだ。それに」

 麻衣は、持っていたバインダーを六助に向けた。

「だいたいの状況はメモしてたから」

 開かれた中身を見て、六助は、うへえと眉をひそめた。
 細かな図や文字がびっしりと詰め込まれている。B5ノートに見開きいっぱい。全体的に走り書きのようだが、罫線に沿って緻密にレイアウトされており、書き手の性格が表れている。

 麻衣には見ている試合を可能な限り記録する習慣がついていた。
 もともとマネージャーの仕事でスコアノートを書いていたのだが、試合に出ない分何かしら成果を得ようと、自分なりの観点を書き記し始めたのがきっかけだ。
 シュートやセットプレーといった一般的なスタッツだけでなく、選手個人の特徴やよく見られた攻撃パターンなど、気づいたことはなんでも記されている。
 普通に観戦するより盤面が整理できるし、実は、ボールを蹴っているのと同じくらい楽しい。今では半分趣味のような習慣だ。
 練習試合からちょっとしたミニゲームまで、あらゆる試合経過をメモした結果、通常のスコアノートよりはるかに情報密度の高い記録が出来上がり、前の学校ではそこそこ重宝されたりもした。

「その次のチャンスシーンがー……って」

 持っていたバインダーが唐突にひったくられた。何かと思えば、犯人である翼が、ページをめくりながら何やら考えている。
 やがて、ニッと意味ありげに口角を上げると、バインダーをぽすん、と麻衣の頭に乗せてこう言った。

「喜べ、麻衣。都大会、お前に重大任務をやるよ」