椎名翼の幼馴染

2-1 プロローグ

「 い・つ・ま・で 笑ってるつもり?」

 投げかける言葉に分かりやすくトゲを含ませてやると、隣を歩く少女は、白々しく咳払いして冷静さを取り繕った。
 よく見なくとも、その肩は絶えず小刻みに震えている。本人は堪えているつもりだろうが、まったく誤魔化せていない忍び笑いが逆に腹立たしい。
 目尻に涙さえ浮かべ、苦しそうに腹筋を押さえた麻衣が、自己弁護のために口を開く。

「だって、翼が、お、男のひとに……ナン……ぷははは!」

 とうとう限界を迎えたのか、言い終わる前に盛大に吹き出した麻衣を、翼はデコピンで容赦なく沈めた。

 

***

 

 都大会も終わり、久しぶりに練習のない完全オフの夏休み。たまには趣味の映画鑑賞を満喫しようと、少し離れた繁華街まで足を運んだ翼に、麻衣が無理矢理くっついてきたことがそもそもの始まりだった。
 映画といってもエンタメ的な大スペクタクルでも、全米が泣いた感動の大作でもなく、今日観るのはどちらかというと文芸性の高い作品だ。麻衣にはあまり楽しめるとは思えない。
 それでも付いてくるというので勝手にさせたのだが、案の定、エンドロールが終わって第一声「面白かったね」の一言のみで、彼女は2時間にわたる映像作品の感想を終わらせてしまった。

 まぁ、数年ぶりに東京に戻ってきて、都会らしい遊びがしたいという気持ちも分からないではない。
 翼は本来の計画を諦め、今日は麻衣の遊楽に付き合ってやることにした。

「はい、翼はピスタチオね!」

 立ち寄ったジェラート専門店で、テイクアウトを注文した麻衣が、店外で待つ自分のもとへ満悦顔で戻ってきた。
 差し出された手には、コーンに盛られた薄緑色のジェラートが。反対側の手には、おそらくストロベリー系であろうピンク色のジェラートが握られ、そちらはすでに口を付けた形跡がある。
 コーンを受け取りながら、自然と彼女の手首に目が留まった。本人曰く「お守り代わり」らしい白いシュシュが、右手にブレスレットのようにはめられていた。

「さすが翼の行きつけ、本格的な味がする!」
「本場の食べたことないだろ」
「そっちは本場を知ってるとでも?」
「一昨年の家族旅行、ミラノだったし」
「く、このブルジョワ……!」

 店の近くでしばらくたわいのない会話をしていると、ふとこちらに近づいてくる気配があった。
 ああ、これは面倒くさい輩だな。
 瞬時に警戒度を上げて、関わりをもつ前にその場を離れようとしたのだが。
 翼と違い、全方向に無防備な麻衣にはどうも伝わらなかったらしい。ばっちりその男たちと目を合わせてしまった彼女に、内心「馬鹿……」と悪態を吐いた。

「おっ、キミら何味頼んだの?」
「うまそーだね。俺らにおすすめ教えて♪」

 高校生らしき2人組が、馴れ馴れしい態度で話しかけてきた。
 ファッション誌が推すトレンドコーデをそのままトレースしたような、しかし金はかかっていなそうな安直な服装。似合もしないサングラスをかけ、チャラチャラと音のするアクセサリーから、軽薄な印象が際立っている。
 このような人種に絡まれるだけでも不愉快だというのに、彼らは確実に失礼な勘違いをしている。それに気づいている翼は、ゴミを見るような目で男たちを一瞥すると、絶賛戸惑い中の麻衣を促して彼らの付きまといを振り切ろうとした。

「ちょっとちょっと! つれないじゃん、”カノジョ”」

 ――大人しく退散すれば良いものを。
 その余計な一言で、彼らの命運は尽きることになった。

 

***

 

「翼はナンパ撃退も慣れたものだね。最後はその、ちょっと不憫、だったけど」

 みるみる顔色を悪くして逃げていった男たちを思い返したのか、若干の同情を匂わせる麻衣に対し、翼はとくに悪びれもせず、ハンと息を荒げた。
 ああいう輩は、今後気軽に他人に声をかけることを躊躇するくらいがちょうど良い。自業自得というやつだ。

「美少女はたいへんだね」

 未だにそのネタが気に入っているらしく、思い出し笑いを交えてからかってくる幼なじみを、怒りを通り越して呆れの表情で見つめる。
 いったい何故、ヤツらの目当てが自分の方だったとは思い当たらないのか。

 あの2人は最初からどう見ても麻衣を狙っていた。
 今日の彼女は普段からすると少々珍しい装いをしている。スクエアネックのタンクトップに細身のデニム。足元は相変わらずスニーカーだが、動きやすさ重視のいつものジャージ姿と比べると、圧倒的に身体のラインが強調されている。
 先日の試合でばっさりとハサミを入れられたショートヘアは、その日のうちに玲が美容院に連れて行き、改めて整えてきたようだ。プロの手によって今どきの髪型に仕上がっている。
 本人はますます女の子らしさから遠ざかってしまったなどと自虐していたが、むしろ――――

(……うなじとか……目のやり場に困るというか……)

 半月ほど前、再会した幼なじみの雰囲気がガラリと変わって見えたのは、見慣れないロングヘアのせいだと思っていたのだが。髪を切ったいま、以前からの魅力に色気的なものが加わり、より大人っぽさが増した気がする。
 ふんわりと丸い後頭部から、襟足にかけてくびれた毛先、そこに繋がる細い首すじ。
 今日にかぎって首まわりがあいた服装の彼女に、油断すると目を奪われそうになり、翼はその感情のあまりの不毛さにため息をついた。

 青春をサッカーに捧げたスポーツ少年といえど、15歳の男子中学生である。
 たとえば、それなりに仲の良い同世代の異性がいたとして。
 そいつに「会いたかった」などと笑顔で言われ、ときおり熱心に見つめられ、2年以上も前にやったプレゼントを肌身離さず持ち歩かれている。そんな態度に、友情以上の好意を疑わずにいられるだろうか?

(そこまで朴念仁じゃないんだけど)

 熱烈なアピールだと言われた方がまだ納得できる。
 しかし、相手は麻衣なのである。付き合いの長いこの幼なじみは、自分に対して昔からずっとこの距離感だ。特別視されているのは間違いないのに、今まで一度も、恋愛的なイベントが発生した覚えがない。麻衣にとって翼はずっと「サッカー仲間の幼なじみ」。少なくとも、彼女自身の認識の中では。
 一般論、10代の男女がこうして2人きりで遊びに出かけるというのは、関係性になんらかの進展を期待してのものだろう。断言するが、麻衣に限ってそんなこと一切考えているはずがない。
 自分だけが意識しているなんて、翼は絶対に認められないのだった。

「あ、ねえねえ」

 何かを見つけた麻衣が、少し先を無邪気に指差した。

「寄って行きたい! サッカーショップ!」

 大通りに面したその店は、サッカー専門ショップだった。地下1階から3階まである大型ショップで、ショーウィンドウには各国の代表ユニフォームが並んでいる。とりわけ目立つように飾られているのは、直近のW杯決勝戦で2得点をあげ優勝に貢献した、フランス代表の10番ユニフォームだ。

「髪切っちゃったから、ヘアバンド欲しいんだよねー」

 麻衣が店前に設置されたフロアガイドを確認している後ろで、翼はキョロキョロとあたりを見回した。

「翼?」
「いや、今誰かに見られてた気が……」

 実は少し前から、妙な気配を感じてたびたび背後を振り返っていた。何者かに付けられているような、視線を感じるような……。先刻追い払った男たちに付け狙われている可能性を考慮し、念のため周囲を警戒するが、とくに不審人物は見当たらないようだ。
 翼にならって麻衣も目をこらしているが、何も見つけられずこてんと首をかしげた。

「気のせいじゃない?」
「ん、みたいだね」

 仕切り直して店に向かった麻衣が「涼し〜い」と言って先に自動ドアをくぐった。
 翼はもう一度振り返って見るが、繁華街の雑踏がそこにあるだけだ。忙しなく行き交う人々は他人になどまるで興味がないように通り去っていく。やはり気にしすぎなだけだろう。
 警戒心を緩めたところで、翼も麻衣の後を追って店へと入っていった。