SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

2-1 訓練室

 無機質な目玉が、真っ直ぐこちらを見下ろしている。
 人間を簡単に蹂躙する巨体。鋭い爪牙。低く震える咆哮。対峙する怪物は、私にとって恐怖の対象そのもので。けれど、今の私に、そいつを怖いと思う感情は微塵も浮かばない。
 あれは“的”だ――照準を合わせ、引き金を引き、当たれば得点がもらえる、昔やったゲームを思い出す。
 両脇を締め、筒先でターゲットを捉える。銃を構える動作もそれなりに慣れたもので、手順に迷いがなくなった。ずっしりと両手に掛かる突撃銃の重みも、トリオン体では支障にならない。
 迫り来る大型近界民の攻撃をかわし、大きく跳躍しながら、私はその的目がけて躊躇なく弾丸を撃ち込んだ。

 

***

 

『最大心拍98bpm。まあいいんじゃない。上がっておいでよ』

 敵の沈黙を確認したところで、内部通話で呼びかけられた。
 集中していた意識が現実に浮上し、ふうと息をつく。
 今しがた地面に崩れ落ちた敵……大型トリオン兵の死骸が、空中に分解しながら消えていく。仮想戦闘モードが終了したのだ。
 訓練室から出ると、ガランとした観戦スペースに、上から降りてくる人影があった。雷蔵くんが、片手を軽く上げながらこちらに向かってくる。その手にはお決まりのLサイズドリンクカップ。ペットボトルではなく、氷入りで飲むコーラがどうやら彼はお気に入りらしい。
 C級合同訓練は数時間前に終わり、今この場には私と雷蔵くんの2人しかいない。促されるままに隣りに座って、彼の膝の上で開かれたノートPCのモニターを横目で覗き見る。

「どう? チューニングし直したトリオン体の調子は」

 眠たげな瞳はモニターを捉えたまま、雷蔵くんが私に意見を求めた。どう、などという抽象的な問いにどう答えたものか、考えながら改めて自分の換装姿を確認する。

「違和感とかは全然ないよ。ただ、やっぱり不思議な感じ」

 両手を裏表にしてみたり、腰を捻ってみたり。C級の白い隊服は正直あまり似合っていないけれど、見た目は生身の自分そのままだ。指先まで意思通り動かせるし、五感も正常――ただし、どれだけケガをしても痛みは感じないし、身体能力は人間のレベルを超えている。
 今の私なら、雷蔵くんを抱えて基地一周だって余裕でできちゃう。お世辞にも運動神経が良いとは言えないズブの素人が、半月足らずの訓練で先ほどのシミュレーションのように動けていたのも、このトリオン体という謎テクノロジーのおかげだ。

(まあ、まだバムスター1体を相手にするのがやっとなくらいだけど)

 私のトリオン体は特注品で、他の隊員にはない特殊な機能が備わっている。チーフエンジニアである雷蔵くんが、忙しい合間を縫ってこうして戦闘シミュレーションに付き合ってくれているのもそのため。

「恐怖心はうまく抑制されているみたいだね」

 そう言って彼が視線をなぞらせるグラフは、私の戦闘中の心拍数を表している。
 最初に緩やかに上昇してから、大きな変動なく安定した折れ線。実感としても、襲いくる近界民を目の前にしてかなり冷静な対処ができたと思う。こうして数値で見ると、やっぱりコントロールされた不自然さのようなものが伺える。
 心拍が高まると周りの人のトリオン器官に干渉してしまう、という厄介なSEを持つ私は、この“感情制御機能付き”のトリオン体に換装していないとボーダー基地内を迂闊に出歩けないのだ。

「一応、前よりは制御レベルを下げておいたよ。緊張感を無くしすぎると集中力が散漫になるし、実際、感情を制御したら任務成績が落ちたってデータもあるくらいだから、くれぐれも慢心しないこと。高槻さんは、戦うことより身を守る方が優先だからね」

 雷蔵くんの忠告に頷いたところで、ドアが開く気配がした。
 入口に見知った2人。そのうちの1人、あくびを噛み殺し気怠そうにこちらを見下ろす視線とかち合う。

「よー、調整とやらは終わったかよ」
「諏訪。堤くんも」

 刈り上げた金髪に咥えタバコ、目付きの悪さも相まって、諏訪は相変わらずガラが悪い。中高生の多いこの組織で怖がられたりしていないのだろうか。
 対象的に、隣で愛想良く微笑む堤くんが、私に向かって軽く頭を下げる。

「高槻先輩、明けましておめでとうございます」
「あ、年明けてから初だっけ。おめでとう」
「会うのは初ですね。入隊式の日、俺はあそこから見てましたけど」

 そう言って彼が顔を向けた先は、上階のオペレーション室だ。
 数日前、入隊式のオリエンテーションでも、この訓練室を使った新入隊員の合同訓練が行われていた。
 一応新入隊員扱いになっている私も参加したのだけど、私以外、中3とか高1とか10代前半の若い子ばかりで、場違い感が気まずかったのが記憶に新しい。そういえばあのときスピーカーから聞こえたアナウンスは堤くんの声だったような。

「さっそく噂になってましたね。ガトリングの女子大生」

 ははっと軽い調子で笑う堤くんの言葉に、諏訪もその日のことを思い出したのか、露骨にげんなりした顔をした。

「雷蔵、てめーだろ、こいつにあんなもん持たせやがったの。訓練用トリガーになんつー危険物入れてんだ。弾トリアンチのくせによ」
「本人の能力に見合った提案をしたまでだよ」

 入隊したての私は、自分のホルダーにトリガーをひとつしかセットできない。銃手になることは諸々の事情で消去法的に決まったのだけど、好きな武器を選んでいいと言われ、よく分からなかったのでその時手近にいた雷蔵くんにアドバイスを求めていた。

「高槻さんは実質トリオン無限なんだし、火力高いの入れとけば最強でしょ」

 そんな理由で選ばれた機関砲型トリガーは、件の入隊式合同訓練で、敵を2秒で蜂の巣にした。
 静まり返るギャラリー。
 どこからともなくすっ飛んできた諏訪が、丸めた冊子で思い切り私の頭をシバいた。

「アホかてめーは! ンなもん、実戦で使えるか! 素人がぶっ放したら味方もみんなお陀仏だわ!」

 好きなの選べと丸投げしたくせに理不尽!
 そう抗議した結果、今後私が使うトリガーは強制的に突撃銃ということになった。嵐山くんが持ってたのと同じようなタイプだ。
 ――機関砲も捨てがたかったけど、これもなんか機構が複雑でカッコいい。タタタタッて連射音も気持ちいいし。
 愛用の銃に見入っていたら、雷蔵くんから若干ひいた視線を感じたので、私は手に持ったそれをやむなく一度仕舞うことにした。

「まあまあ、おかげでトリオン量が多くてスカウトされたって設定に信憑性が増して良かったじゃないですか」

 堤くんの言うとおり、中高生ばかりの新人隊員に成人済みの私が紛れている理由として、そんな設定があらかじめ根回しされていた。本当ではないけれど嘘とも言い切れない微妙なラインだ。表向き私のトリオン能力は11ということになっている。

「私なんかよりよっぽど派手に目立ってた子たちもいたよ。タマコマ支部? だっけ」

 私の2秒という記録も、直後に塗り替えられた0.4秒に比べたらまだ現実的な方だと思う。スナイパーの演習場では壁に穴を開けた女の子がいたそうだ。風間くんと模擬戦した男の子も随分噂されてたなあ。

「高槻先輩は別の意味でも噂されてますよ。美人ですし、諏訪さんの元カノですし」
「ハァ!?」

 その情報には私よりも諏訪の方が過剰反応した。眉を吊り上げて堤くんに詰め寄っている。

「オイ堤、誰だんなこと言いふらしてんのは」
「そりゃあ、風間さんか太刀川あたりじゃないですか? 言いふらしてるわけじゃないでしょうけど、聞かれたらすんなり答えそうだ」
「アイツら……!」

 色恋沙汰はすぐ噂が回りますからね、と堤くんはあくまで他人事の構えだ。
 なんというか、入隊してボーダーのイメージはだいぶ変わった。思ったより殺伐感がない……というか、人間関係がかなり自由で、雰囲気的には軍隊というより学校の部活みたい。
 イメージを変えた原因の筆頭であるA級上位隊長たちを思い描く。この後、彼らと改めて顔合わせをすることになっている。太刀川くんはまともに顔見るの高校以来なのだけれど、まさかあの子がA級1位部隊の隊長になってるとはなあ。
 ちなみに、私と諏訪の関係を知る人物にはもうひとり心当たりがあって、噂を広めたとしたら十中八九彼なんじゃないかなあと思ったけど、ややこしくなりそうなのでとりあえず黙っておいた。

「じゃ、オレ開発室戻るから。高槻さん、なんか不具合あったら報告ちょうだい」
「うん、ありがとう雷蔵くん」

 PCを閉じて訓練室を後にする背中を、手を振って見送る。
 私たちもそろそろ時間だ。時計を指して諏訪を促せば、面倒くさそうに踵を返す。
 訓練室から会議室まではそこそこ距離がある。長い廊下の途中で堤くんとも別れ、私と諏訪は、指定された会議室まで並んで向かうことになった。