2-2 サッカーショップ
サッカーショップの2階にやって来た麻衣は、陳列された商品を眺めながら、目当ての品を探していた。
翼とはいったん別行動になった。スパイクを見に行くと言って、彼はひとつ上のフロアに上がっていった。そちらも気になるので、後で合流しに行くと伝えてある。
主要駅前の店舗だけあって、品揃えが豊富である。有名ブランドの新作はどれもデザインが洗練されていてかっこいい。けれど、結局最終的には泥だらけになるんだよなあと、麻衣は手に取った白い練習着をラックに戻した。
「あ!」
あった。フロアの奥まで順に見ていって、麻衣はようやくそのコーナーを見つけた。靴下やリストバンドといった小物と同様、壁面に吊り下げられたヘアバンドたち。
サッカープレイヤーにとって、ヘアバンドは個性を出すことが許される数少ないアイテムである。ビビッドなカラーものや、大きくブランドロゴが入ったキャッチーなもの、総柄デザインなど、この小さなアクセサリーだけで目移りしてしまうほどのラインナップがある。
見比べたり、鏡の前で当ててみたりと、少し悩んで麻衣が最終的に手にしたのは、白地に黒いロゴという最もシンプルな商品だった。もともとそんなに奇抜なデザインは好まないというのもあるが、飛葉中の赤と白のユニフォームに合わせるなら、これが1番しっくり来るなというのが決め手だった。
あのユニフォームをもう一度着ることはあるのだろうかと、麻衣は思う。
都大会を最後に3年生が引退してしまい、これからは1、2年生だけで部活をやっていくことになる。メンバー数的に、秋の新人戦には出られないため、次の公式戦は来年の春大会になるだろう。新入部員獲得はなんとしても頑張らねばならない。
都大会の際はあまり考える暇もなく出場することになったが、もし自分以外に控えの選手がいたとしたら、果たして自分は出場しただろうか。
残りの1年間、自分はどのようにこのチームと関わっていくのだろう。翼や、ほかの3年生たちの引退をきっかけに、麻衣はそんなことを考えるようになっていた。
(あんまり時間かけると、翼を待たせちゃう)
いろいろ見て回ったせいで思ったより時間が経っている。
これで良し、と商品を改めて確認し、レジに向かおうと踵を返したとき、唐突に目の前に現れた男性に声をかけられた。
「おっ、スポーツ用のヘアバンド? ちゅーことは、あんさんもサッカーやる側の人なん?」
(……関西弁?)
その言葉が自分に向けられたものと気づいて、麻衣は足を止めた。
声の主は、麻衣が手に持ったヘアバンドをしげしげと眺めている。
あまりに自然に声をかけられたので、店員さんの接客かとも思ったのだが、それにしてはいくぶん若い。高校生か、もしかしたら自分と同じ中学生ではないだろうか。
それに、いくら若者向けの店と言えど、客にタメ口、それにその金髪にピアスは……さすがに店員というわけでは無さそうだ。
「え、と……?」
「おっと、かんにん、驚かせてしもて。こないべっぴんがサッカー好きとは、なんや嬉しなって」
金髪関西弁の少年は、そう言ってにっかし笑って見せた。
東京に戻ってきたはずなのに、やたら関西弁と遭遇する確率が高いのはなぜだろうか。
思考が一瞬フリーズしたが、麻衣は今現在自分が置かれている状況を冷静に考え直して、そして途方に暮れた。
(どうしよう……これ、ナンパ? だよね?)
道端で知らない男性に声をかけられる事案は、先ほども体験したばかりだ。あのときは翼が撃退してくれたが、今は別のフロアにいる。ひとりで対処する術など、麻衣には全く見当もつかない。
目の前の彼はかなり派手な見た目をしている。直樹よりもさらに鮮やかな金髪で、肩にかかる長髪。第2ボタンまで開けたシャツの首元には、羽根をモチーフにしたシルバーアクセサリー。全体的に着崩しているのだが、不思議とだらしなくはなく、こなれた雰囲気を醸し出している。
表情も口調もフレンドリーだが、だからといって威圧を感じないわけではない。麻衣には、もともと20cm以上ある身長差が、さらに大きく見えていた。
「やめろ、シゲ」
硬直した麻衣と金髪の間に割って入ってきたのは、またも見知らぬ少年だった。
「お前に絡まれると、不良に絡まれたと勘違いするんだよ」
垢抜けた茶髪、長い前髪。じっとりと金髪を睨む両目は切れ長のタレ目。こちらの彼は前開きシャツの中に首の詰まったインナーを着ていて、金髪のツレにしては優等生な着こなしだ。
シゲと呼ばれた少年は、茶髪の言葉に動じることもなく、むしろからかい混じりに言い返した。
「タツボン、それ自分にも言えてんで? そない凶悪な目付きしとったらな」
「は?」
振り返った茶髪少年と目が合って、麻衣は反射的に身体をビクつかせた。麻衣からしてみたら、対峙しているナンパ(仮)がもうひとり増えた状態だ。しかも、後から来た方がなんとなく好戦的だ。
助け舟を出したつもりだったであろう、少年は麻衣の反応を見て、ウッと言葉を詰まらせた。
「シゲさん! 水野くん! 2人ともどこに……あ。」
さらにもう1名の声が加わって、麻衣はいよいよパニックになりかけたが、やってきた少年を見て毒気を抜かれた。
3人目は、小学生にも見える小柄な少年だった。幼さの残る丸い瞳。他の2人に比べると声のトーンも高い。
麻衣の方を見て、気まずそうに頬をかいている。不良にも舎弟にも見えない、ごく普通の少年だ。
「えっと、見つかっちゃったんですか?」
「いや、シゲの方から声をかけた」
「シゲさん……」
麻衣は困惑していた。最初はなんとかこの場から逃げようとしていたが、そのタイミングは逃してしまったようだ。
関係性不明のこの3人は、自分に用がある様子。どうもナンパではないらしい。
「せや。嬢ちゃんに聞きたいことあってん」
ポンと手を打って、金髪が本題を思い出したように切り出した。
「あの姫ぃさんと嬢ちゃんはどういう――」
「遅いと思って様子を見に来てみれば」
金髪の言葉を遮ったよく通る声に、全員が吸い寄せられるように目を向けた。
「なんでお前は、そういちいちややこしいのに絡まれるワケ?」
(翼!)
翼の姿を見て、安堵した麻衣がその名を呼ぼうとしたが、先に発言したのは金髪の方だった。
「よお姫ぃさん、しばらく」
――――姫ぃさん?
初めて聞く呼称に、えっと驚きの声を漏らす。
翼は、非常に不本意そうなしかめっ面で、陽気に手を振る金髪少年を見上げている。
「ちょっと前から後ろ付けてきてたのはアンタら? 人の尾行なんてとてもいい趣味とは思えないけど?」
「つ、翼さん! すいません、僕たち」
「いいよ、将。どうせ言い出しっぺはコイツだろ? たく、お仲間揃って何やってんのさ、こんなとこで」
コイツ、と指名された金髪が得意げにウインクをかますので、翼の額に浮かぶ青筋が増えた。
「いやなぁ。この近くにめちゃウマなもんじゃ出す店があるよって、タツボンとカザにも食わしたろ思って連れて来たんやけど。それよりおもろいもん見かけてもーたさかい。飛葉中の椎名はんが女の子と連れ立っとるト・コ♡」
そう言いながら立てた小指に、どんな意味があるのか麻衣には分からなかった。金髪が楽しげに話している間、茶髪の方は手に負えないというような渋い表情を浮かべている。小柄な少年は終始恐縮している様子だ。
「こらどこ行くつもりなんか見守らなあかん! て、付いてきたはええんやけど。まさかデート中に彼女ひとりほっぽり出して自分の買い物に行くやなんて。同じ男として、なんかひとこと言うたろ思うとったとこや」
「激しく余計なお世話なんだけど!!」
長々と語られた結末に、とうとう耐えきれなくなった翼が突っ込んだ。こんなに素直にキレる翼は珍しいし、翼に睨まれて平然としている相手もなかなか曲者である。
どうやら3人は翼の知人らしいが、それにしても随分気の置けない仲のようだ。
麻衣は感心した様子でそのやり取りを眺めながら、彼の話にあった相違点を訂正した。
「あの、デートじゃないですよ。わたしと翼はそういう関係じゃないので」
たしかにこれがデートだったとしたら別行動はマイナスポイントかもしれない。勘違いによって翼が気遣いのできない男だと思われてしまうのも気の毒だ。
極めて冷静に指摘すると、しん、とその場に沈黙の時間が訪れた。
金髪少年が、わざとらしく涙を拭うポーズをして、翼の肩に手を乗せた。
「すまんな姫ぃさん、ヤブヘビやったわ。気ぃ落とさんと、な?」
「ほんと〜〜〜にその減らず口を縫い付けられたいみたいだね」
なおも続く掛け合いを呆然と見送っていると、すまなそうな顔をした小柄な黒髪少年が麻衣に話しかけてきた。
「すみません、お買い物を邪魔しちゃって。僕、風祭将っていいます。翼さんとは、サッカーの選抜のチームメイトで」
「! 東京選抜の?」
驚いた。風祭と名乗った少年は、麻衣よりもさらに背が低く、身体つきが全体に小さい。この体格はサッカーをする上ではかなりハンデだと思うのだが、柾輝・六助や、武蔵森のあのメンバーたちと同じ選抜メンバーだという。彼も翼のように、低身長を補えるだけの頭脳やテクニックを持っているのだろうか?
「補欠なんですけどね」と謙虚に付け足しながら、風祭は続けた。