SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

2-2 A級上位隊長

「そういやおめー、ケガの具合はどうなんだ。昨日ギブスが取れるとか言ってたか?」

 隣を歩く、平均身長より高めの目線から、私の右肩あたりに焦点が合わせられる。
 さっきまで銃をガンガン連射しながら振り回していた腕。換装していると忘れがちだけど、実は生身の私はまだケガの療養中なのだ。
 2週間の入院と、さらに2週間のギブス固定生活からはようやく解放されたものの、あと1ヶ月は安静を強いられている。

「お医者さんは経過良好だって。もう痛みもあんまりないし、お母さんにも帰ってもらったよ。諏訪によろしく言ってた」

 利き手が使えない状態での一人暮らしはさすがに不便だったので、県外にいる母親に一時的にサポートに来てもらっていた。
 近界民に襲われてケガをしたあげく、ボーダーに入りたいなどと言い出したものだから、家族には当然猛反対をくらったけれど。そこは慣れているのだろう、忍田さん・沢村さんが出向いて一緒に説得してくれた。最終的には、私の身の安全のためにもボーダーの保護が必要だと、なんとか理解してもらったのだ。
 一度、入院中の病室で諏訪と両親が鉢合わせたことがあった。緊張しながら「お久しぶりです」と頭を下げる諏訪に、父も母も驚いた顔をしていた。
 なんとなくだけれど、ボーダーに諏訪がいたことが、ある意味両親を納得させる材料になったんじゃないかと思う。4年半前のあの日――最後まで側で私を守ってくれていた諏訪に、2人ともいたく感謝をしていたから。
 母の言伝に、諏訪は複雑な表情を浮かべた。
 1人で大丈夫なのかと、本当はそう問いたいのだろう。過保護で世話焼きなこの男は、ケガをした私のことを必要以上に心配しているきらいがある。それでいて、自分があまり干渉しすぎないようにと、わざと距離を置いているのも知っている。

「無理はすんなよ。手伝いが必要なことがありゃ言え」
「ん……、ありがと」

 立ち位置を測りかねているのは私も同じだ。
 2年前に恋人関係を解消した私たちは、会えば抵抗なく話すようにはなったものの、ただの友人に戻るというのもなかなか難しくて。2人きりでいると、たまにこうしてぎこちない時間が発生することがある。
 当たり障りのない会話で気まずさを誤魔化しながら、無意識に歩を速めていたのか、気がつけば少し早めに会議室に着いていた。

「うーす。よお風間、やっぱおめーらが1番乗りか」

 室内にはすでに4人の姿があった。
 そのうちの1人、小柄な少年……に見える、実は同い年の青年に、諏訪が気安いノリで声をかける。
 椅子にも座らず、壁にもたれて腕組みをした彼は、独特の鋭さを持つ赤い瞳で諏訪を睨みつけ、高圧的に言い放った。

「遅い。あとの3人はどうした。いつまで待たせるつもりだ」
「ああ? まだ時間になってねえじゃねえか。何おめー、そんな不機嫌なわけ」
「すみません。風間さん今日はミーティング続きで、お昼食べ損なってるんですよ」
「なんだ腹減ってるだけかよ。相変わらず食い意地はってんなあ」

 風間くんをフォローするように、大人びた男の子が代わりに応えた。事前に聞いていなければ、こちらの方が歳上と見間違えそうだ。諏訪隊の笹森くんも高1にしてはしっかりしているけれど、この子はさらに落ち着きや貫禄さえ感じさせる。
 A級3位、風間隊。不思議なデザインの隊服と、不可視をモチーフにしたエンブレム。ジャケット姿の女の子はオペレーターだろう。私に気づいた彼らがぺこりと頭を下げたので、私もつられて会釈した。

 隊長の風間くんとは、入院中の病室で少しだけお話する機会があった。
 諏訪が、会わせたいヤツがいる、と連れてきた初対面時の衝撃はなかなか忘れることができない。あれはたしか、クリスマスより少し前のこと。

「ほう……彼女が例の……」

 A級の隊長だと紹介された人物に見据えられ、プレッシャーに威圧される私を、じっくり見定めるようにして彼は続けた。

「諏訪がしばらく引きずった挙句、泥酔するたびに未練がましく名前を呼んでいた相手だな?」
「え?」

 てっきりSEについて言及されると身構えていたら、予想外の言葉にぽかんと間抜け顔を晒してしまった。
 諏訪が大慌てで訂正に入り、声を張り上げて言い争っているうちに、やってきた看護師さんにしっかりめの注意を受け、その話の真相はうやむやにされてしまったのだけれど(今度改めて教えてくれないかなあ、諏訪のいないとこで)。
 ともかく、諏訪と風間くんは側から見ても随分砕けた間柄のようだった。
 諏訪は比較的誰とでも打ち解けられるやつだけど、ここまで無遠慮なのも珍しい気がする。仲良しなんだねと言ったら、ものすごく不本意そうな顔が浮かんだけれど、否定はされなかった。

「着いたみたいだよ、全員」

 髪の長い男の子が目線も動かさずぽそりと呟いた。
 首を傾げたのは私だけで、彼の言葉をきっかけに、風間隊のみんなは席を立ち、風間くんはもたれていた壁から身体を離した。
 20秒ほどして、廊下から数名の話し声が聞こえてきた。

「しつれーし……お? マジで諏訪さんの元カノじゃん」

 先頭で入ってきた太刀川くんが、開口1番、にやにやしながら私と諏訪の顔を交互に見やった。
 私の脳内ではいまだに学ラン姿であどけない後輩の姿を思い描いていたので、顎ひげを生やした長身のロングコート男から、いかにも太刀川くんらしいセリフが飛び出したのは少し不思議な感覚だった。不躾な態度はまあ彼の愛嬌みたいなものだ。
 その後ろから、これまたガタイの良い男性が顔を覗かせる。

「嘘だろ、諏訪、おまえこんなかわいい子と……!? おまえだけはこっち側だって言ってたろ!?」

 大袈裟なリアクションをとる彼に、諏訪は「うるせー、誰がそっち側だ」と軽くあしらうように手を払う。
 良い歳した男性にこの感想もどうかと思うけれど、裏切られたかのように失望の表情を浮かべる様子が、そこはかとなく不憫な印象だ。

「やーやー。A級1位から3位の隊長が揃うとやっぱり圧巻だね」

 最後に現れたのは、線の細い男の子だった。分けた前髪の上に色付きのゴーグル。青い隊服には、みんなとは違うデザインのエンブレムが付いている。

「ウチのレイジさんは今日、防衛任務なもんで。代わりにこの実力派エリート、迅悠一が召集に応じました」

 そう言って敬礼のような仕草をするけれど、表情はへらりとしていて緊張感がない。掴みどころのない雰囲気がどことなく林藤支部長に似ている気がする。
 このひとが、噂の迅くん。
 あまり広くはない会議室に、私を含めて9名が顔を揃えた。
 私、諏訪、風間くん、風間隊の……歌川くん、菊地原くん、三上さん。そして今しがたやってきた、太刀川くん、迅くん、もう1人がたぶん冬島さん。たしかに、肩書を並べれば錚々たるメンバーだ。
 心の中で雷蔵くんに感謝した。ほぼ初対面だらけのこの場で緊張せずにいられてるのは、感情制御機能が正常に作動しているおかげだ。

「あの、よろしくお願いします。新入隊員の高槻麻衣です。これからみなさんにご迷惑……を……」

 自己紹介をしながら頭を下げて、上げたら、いきなり目の前にドアップの顔があって固まってしまった。
 太刀川くんが腰を折ってまじまじと私を凝視している。どう反応していいか分からず、無言のまま至近距離で見つめ合う形になる。

「ん〜? これって今SE発動してんの?」

 眼前の彼はそう言って不思議そうに眉をひそめた。

「トリオンが増えたらこう、なんか力がみなぎる的な実感あるのかと」
「……私いまトリオン体で、SEは発動しないように抑えられてるよ」
「そーなのか。そりゃ残念」

 不意に身体が後ろに引っ張られて、バランスを崩し小さく後ずさったところで背中を受け止められた。
 私の肩に手を置いた諏訪が、やや呆れ顔で太刀川くんに対峙している。

「太刀川ァ。こいつこれでも歳上だしよ、ちったあそれらしく接しろ」
「あれ。諏訪さん、これマジのやつ? へえ〜?」
「太刀川さーん。それ以上やると馬に蹴られるよー」

 生暖かい目をした迅くんの野次に「ウマ? なんで?」と疑問符を浮かべながら、太刀川くんはすんなり身を引いた。
 諏訪も私から手を離し、決まり悪そうにその手で自分の後頭部をザリザリ掻き回している。……軽率にこういうことするから、明日には噂に尾ひれがついて広まってそうだよ、バカ諏訪。

「おい。時間の無駄だ。さっさと本題に入るぞ」

 風間くんのまともな一声で、緩み切った空気が少しはシャキッとするかと思いきや、あくまでマイペースな彼らからはへーいとかうーすとか間延びした返事が上がった。
 各々が好きな席に着く。この場合、誰が仕切るのだろうと見ていたら、書類を手にした冬島さんが咳払いをした。年功序列らしい。

「例の予知について、上層部と対策を話したらしいな、迅、風間」

 全員分の視線を集めながら、名指しされた2人はとくに表情を変えずに頷いた。

「うん。攻めてくる国もある程度目星を付けたよ。これから忍田さんと具体的な作戦を擦り合わせるところ」
「正隊員には明日にでも正式通達があるだろうな」

 まるで、今夜の夕飯何にしよっか? くらいのテンションでびっくりしてしまうのだけど、内容は間違いなく軍事事案だ。
 敵が攻めてくる。それを事前に把握できているのは、迅くんが持つSE《未来視》のおかげである。なんと彼は未来を視ることができるらしい。同じSE持ちとはいえ、いまいち役に立つのかどうかも怪しい私と違って、こちらは文句なしの超能力者だ。
 その彼の能力で、少なくとも数週間以内に、大規模な防衛戦が発生すると予知された。この情報は、ボーダー内でもまだ一部の人間にしか知らされていない。
 そんな重要機密を語るこの場に、私みたいな一般人が紛れ込んでいることに、今更ながら違和感を禁じえない。

「そんで、敵さんはほんとにこの嬢ちゃんを狙いに来るのかねえ?」

 冬島さんが、半信半疑といった視線をこちらに寄越した。当事者ながら、これについては私から言えることがなくて、情けなく身を縮こませる。

「どうなんだ? 迅」
「んー」

 青い瞳が静かにこちらを見据える。より正確には、私を通して何かを向こう側に視ているというか。
 未来が視えるっていったいどんな感覚なのだろう。
 掴みどころのない言動に反して、その眼差しはひどく真剣で、複雑な思惑が滲んでいるように感じた。

「……うん、今のところは、高槻さんが危ない目に合う未来はとくに視えないな」
「お、じゃあ取り越し苦労か?」
「でもねー。おれの未来視も万能じゃないし、今回はとくに、未来を変えるためにいろいろ介入する予定だから。どこでどう分岐するか、正直予想付かないよ。まあでも、今日彼女を見たことで、今後何かあれば察知することはできるよ」

 迅くんの回答に、ほっとしつつもなんだか拍子抜けな自分がいた。
 先月、大学前で発生したイレギュラーゲート事件に巻き込まれた私は、敵の偵察兵の前で無自覚にSEを発動させてしまった。
 触れた人間のトリオン生成量を倍増させる私のSEは、トリオンを主な動力源として生きる近界民にとって垂涎ものの能力らしい。万が一私の存在が敵に感知され、捕らわれてしまうと、敵の戦力が大幅に増強されてしまう危険性もある。ボーダーとしてそれは絶対に避けるべき事態、というのが上層部の見解だった。
 ここにいる人たちは、街の防衛プラス私の警護が裏ミッションに課されている。
 私の能力が組織内でも機密事項なのは理解しているけれど、私ひとりのために精鋭たちがガン首揃えているこの状況はものすごーく忍びない。危険性が低いのなら尚更だ。

「あの、高槻さんのSEって、オレたち以外どこまで知らされてるんです?」

 歌川くんが手を挙げて、冬島さんが手元の資料をめくった。

「あー、まずは諏訪隊、そんで嵐山。こいつらは現場で能力を見てるからな。開発部の寺島とそのチームのやつ。医療班にも研究チームが作られてる。あとは木崎と、東だな。隊長以外も知ってんのは諏訪隊とおまえら風間隊だけだ。うっかりそれ以外のヤツに話すんじゃねえぞ、とくに太刀川」
「太刀川、りょーかい」
「本当に限られた人しか知らないんですね……」

 そう言い漏らした歌川くんの緊張した様子から、今名前の上がった人たちがいかに組織の中枢人物かというのが伝わってくる。
 木崎くんは同じ大学に通う同学年生で、諏訪とも仲が良かったはず。東さんという方にはまだお会いしたことがない。

「高槻」
「……は、はい」

 突然風間くんに名を呼ばれ、とっさに声が出ず、返事がどもってしまった。風間くんはさして気にするでもなく、自分の隣を目で示す。

「菊地原は、おまえと同じサイドエフェクト能力者だ」
「!」
「《強化聴覚》――端的に言えば、耳が良い。人の心音も聞き分けるくらいにな。おまえがSEを発動するほど心乱すようなことがあれば、こいつにはすぐ分かる。気にかけるように言ってあるから、何かあれば頼るといい」

 ずっと逸らされていた猫のような吊り目が、ようやくこちらを向いた。しぶしぶ……いやいや? そんな感情が、ぷすっと結ばれた口元に現れている。
 なんというか、正直な子みたい。頼る、うーん、頼らせてもらえるかな?
 けどそうか、この子もSEを……。風間隊だけ隊員も召集されていたのは、菊地原くんへの協力要請だったのかと合点する。
 風間くんの言い方からして、彼の能力に信頼があるのだろう。A級部隊で活躍するSE能力者の存在に、単純に興味がわいた。

「よろしくお願いします」
「……ドーモ」

 ふいっと顔を背けてしまう菊地原くんを、歌川くんが嗜めている。まあ、歓迎されるとも思っていないので、彼の態度にどうこう言えないし、何より16歳に頼らざるを得ない21歳……我ながらすこぶる情けない。

 それから、私のSEについて特性を詳しく説明したり、当日までの各々の役割を確認したりして、ミーティングはお開きになった。
 いつ始まるか厳密には分からない敵の侵攻に備えて、私はしばらく基地内から出ないことを約束をした。入院中も大学に行けなかったから、多少単位が危ういかもだけど、前期までフル単取れてるので大丈夫。と言ったら、太刀川くんにドン引きされた。うん、きみは卒業苦労するタイプかもしれないね。
 今月中には仮設住宅を引き払って、宿舎にもらった部屋に引っ越す算段だったけれど、すぐに荷造りを早めないといけないみたい。まあ、もともと私物は多くない方だし、とりあえず日常使うものだけ先に持って来ようか。

 ――この時の私の心配事なんて、せいぜいそんな程度だった。

 もちろん、あの日の恐怖を忘れたわけじゃない。今までにない大掛かりな進軍と聞いて、不安に思う気持ちもある。
 けれど、事前に起こることが分かっている分、心持ちも強く持てる。戦いに向かうはずの彼らが、あまりにも堂々としていたから、安心しきっていたのもあるかもしれない。

 これから始まろうとしているのは、まごう事なき戦争で。
 そこには、命の取り合いが発生するのだと――……

 私はまだ、本当の意味で理解できていなかった。