SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

2-3 侵攻

『門発生 門発生

 大規模な門の発生が確認されました

 警戒区域付近の皆様は……』

 

***

 

 基地中に響きわたったブザー音に、ほとんど反射的に立ち上がった。
 急いで内部回線に接続すれば、敵襲を告げる司令室からの緊急アナウンス。……ついに、今日なんだ。
 予告されていたとはいえ、その瞬間は前触れなく訪れた。
 私は自分のすべきことを頭の中で反芻し、自室を飛び出した。

 廊下のあちこちで慌ただしく駆け回る職員たちとすれ違う。非戦闘員も今は多くがトリオン体に換装している。
 向かったのは開発室だ。エンジニアさんたちがパソコンに向かう脇をすり抜け、奥へと進む。その先の個室に、雷蔵くんと冬島さんが待っていた。
 スチール製の机と棚が並ぶだけのこぢんまりとした部屋の一角には、大小様々な機器が小さな光を点滅させている。剥き出しの基盤から太いケーブルが何本も生えていて、そのうちの1束が壁を伝い、大きなモニターへと繋がっている。
 表示されているのは街のリアルタイム映像みたいだ。2人は険しい表情でそれを眺めている。

「雷蔵くん、お待たせ」
「ん。ドア閉めたら換装解いて」

 言われたとおりに扉を閉め、意を決してトリガーを解除した。
 絶えず情報が流れていた回線が途切れ、現実の音だけが耳に入ってくる。地鳴りのような重い振動音、隣室から漏れ聞こえる混乱した声――今まで置き去りになっていた不安や緊張といった感情が、徐々に胸に灯っていく。
 その状態で改めてモニターを見て、私は絶句した。

「……っ、街が」

 およそ現実とは思えない光景が映し出されていた。
 警戒区域全域を覆う分厚い暗雲。おびただしい数のゲートが開き、次々に溢れ出るトリオン兵が、群れを成して市街地へと向かっている。
 状況は共有されていたけれど、映像を目にすることでようやくその危機感を脳が理解した。これ、4年半前の侵攻以上の――というより、比べものにならない規模の群勢じゃないだろうか。
 心臓はすぐに大きく跳ね上がった。思い出したかのようにやってきた恐怖心が、身体を、精神を萎縮させる。
 あんなに訓練を重ねて、擬似近界民と戦って、それでも、私の記憶は未だ恐怖を克服できていなかったんだ。
 喉奥から込み上げてくるものを押し戻すように、両手で首元をぐっと押さえ込む。

「大丈夫か、嬢ちゃん」

 デスクに向かっていた冬島さんが気をつかって立ち上がりかけたけど、すぐに何かに気づいたような反応を見せた。雷蔵くんもだ。たぶん、彼らの視覚情報に写している、トリオン量の表示に変化が出始めたのだろう。
 私の心拍数は順調に上がっていっている。

「大丈夫、です。……はは、何もしなくても、もうSE発動できてそう」

 苦笑しながら、左手首の計測器を雷蔵くんに見せる。通常は緑色で表示される数字が、今は黄色になっている。
 冷静な2人の前で、1人だけ震えている自分が恥ずかしい。
 けれど、今日に限ってはこの臆病さがむしろ都合良いのだ。

「無理はしない。体調に変化があったらすぐ言って」
「うん」
「怖がらせて悪ぃな。頑張ろうぜ」
「はい」

 彼らに励まされ、改めて気合いを入れた。
 これから私のSEを使って、ここにいる3人分のトリオンを増やす。それを基地に送って、必要なエネルギーを補填する。今回の作戦で、それが私に与えられた任務だった。

 戦闘開始から十数分。2人は手元のガジェットを黙々と操作し続けている。途切れることのないタイプ音。時折メインモニターの映像が切り替わって、しかけたトラップが作動する様子が映し出される。
 各所と連携して敵を迎撃しているようだけれど、会話は内部回線でやり取りされるので、生身の私には今何が行われているか全く分からない。
 任務と言ってはみたものの、実際私がすることなんて、自分の心拍数に気を使いながらなるべく邪魔にならないようじっとしているだけだ。もどかしく思いながら、ほかに出来そうなことも思いつかないので、大人しく彼らの作業を見守る。

「しっかし、改めてすげえな、この能力。こんだけトラップ起動させても、トリオンが全然減らねえ」

 冬島さんが感嘆するように呟いた。トラッパーというポジションについてあまり知らないけれど、専用トリガーの使用にトリオンをたくさん使うらしいことは聞いている。

「すげえ、が」

 思い詰めた声で、少しの間を溜めて。ちらりと振り返ると、居心地悪そうに項垂れる後頭部が見えた。

「ほ、ほんとにこれ、倫理的にアウトじゃねえ? つか俺、諏訪に殺されねえ……!?」

 そう言って雷蔵くんにすがる冬島さんが、本当に泣き出しそうな声で訴えるので、なんだかとても悪いことをしている気持ちになった。
 背中越しに感じる挙動不審。
 今の状況を端的に説明すると、私と冬島さんが、背中合わせに密着した状態で、背もたれのない椅子でお互い寄りかかって座っている。
 私のSEを他人に干渉させる条件――ひとつは、心拍数を一定以上上げること。もうひとつは、なるべく相手と身体を近づけることだ。接触度合いが高いほど、干渉も強くなる。

「女子大生とくっついてはしゃいでるのは分かるけど、集中してくれない?」

 雷蔵くんがもたれかかって、3人が背中を押し付け合う、奇妙なおしくらまんじゅうが完成した。恰幅の良い成人男性の体重が加わり、生身の私は潰されないように必死に踏ん張る。

「はしゃいでねえよ! 誤解されるようなこと言わないでくれよ、頼むから〜〜〜」

 ……この気の抜けるやり取りの最中も、手元だけは止まっていないのがさすがだ。
 この人たち、肝が座りすぎてやしないかな。作戦中にも関わらず、あまりに普段通りの振る舞いは、もしかしたら私を変に気負わせないための気づかいかもしれないけど(それにしては真に迫ってるけど)、それじゃダメなんだ。このままだと私の心拍数が平常に戻ってしまう。

「雷蔵くん、今戦況はどんな感じなの?」

 少しでもシリアスさを取り戻そうと、雷蔵くんに話を振ったら、彼は心でも読んだのか、私が1番知りたかったことを的確に教えてくれた。

「トリオン兵の群れは別方向に分散。任務中だった部隊はそれぞれの持ち場で交戦に入ったよ」

(じゃあ、諏訪隊も今頃……)

 ちょうど今日、防衛シフトに入っていたはずの諏訪のことが頭をよぎる。
 あいつは今、この戦場の最前線で戦っている。本当は出動前に一目会いたかったけれど、結局タイミングが合わずすれ違ってしまった。隊のみんなにも、頑張ってって言いそびれちゃったな。
 あの数の群勢を一隊で捌ききるのはさすがに難しい、と思う。早く後続の部隊が追いつくといいけれど。

「これだけ多いと、警戒区域から完全に出さないのはやっぱり難しいのかな」
「数が多いだけならまだしもね。なんか新型が……」

 会話の途中で、不自然にセリフが途絶えた。
 見ると、雷蔵くんは片方の手をこめかみに当て、どうやら通信に集中している。

「は!?」

 今度は逆側から動転した声が上がった。何かに驚いた様子の冬島さん。
 2人の間に、心なしか緊迫した空気が漂い始める。
 緊急事態、だろうか。

「…………」

 一気に不安な気持ちが押し寄せ、押し黙った。息をするのも憚られるような時間に、自分の鼓動を強く感じる。
 その状態がしばらく続いて、ようやく雷蔵くんが手を下ろした。

「……大丈夫。ちょっとトラブったみたいだけど、すぐフォローが入った」
「お、おい、寺島」

 雷蔵くんはそのまま、何事もなかったように元のデスクワークに戻った。けれど冬島さんの方は、落ち着かない様子でずっとソワソワと身じろいでいる。
 時折こちらにも視線を寄越して……何か心配事があるのは明らかだ。
 正直、気にならないわけじゃない。けれど、2人が何も説明しないということは、私にはどうすることもできない事態なのだろう。
 だれかに何か――ううん。
 大丈夫。ボーダーの人たちはみんな強いから……。

 妙な胸さわぎを抱えながら、その件について私から追求することはしなかった。

「冬島さん、東部の援護強化を、」

 突然、けたたましく鳴り響いた音が、雷蔵くんの言葉を掻き消した。
 本日2度目、非常事態を知らせるブザー音だ。
 驚いて顔を上げると、2人もまだ事態を把握できていないようで、状況確認に動いている。天井近くに設置された赤い回転灯が、現場の警戒心を不穏に煽る。
 雷蔵くんがコンパネを動かして、モニター表示を切り替えた。映像が、街全体を俯瞰した画角から、基地の上空へ。空から何か大きな塊が接近している。

「爆撃型か!」

 冬島さんの叫び声で、それが敵のトリオン兵であることが分かった。訓練室のシミュレーションでは見たことのないタイプだ。
 向こうから攻撃してくる様子は見られず、基地に向かって真っ直ぐ滑空してきている。
 ――まさか、あの巨体がここに突っ込んでくるの!?

「寺島! 砲台のトリオンは!?」
「もう限界までまわしてるよ!」

 基地から怒涛の砲撃が繰り出され、1体墜とされるのが見えた。けれど、もう1体がほぼ無傷の状態で迫っている。

「クソ、こりゃー間に合わねえ! 伏せろ、嬢ちゃん!」

 次の瞬間、身体が浮き上がるほどの衝撃が基地を襲った。
 凄まじい轟音とともに世界が震え、天地が覚束なくなる。激しい揺れが10秒以上続いて、その間、私は椅子にしがみついて必死に堪えていた。

「今の爆撃のエネルギー計測、装甲強度と一緒に室長に報告して、大至急!」

 雷蔵くんが開発室に向かって叫んでいる。普段表情を変えない彼が切羽詰まるところを初めて見た。
 嫌な予感がして、メインモニターを振り返る。上空に、新たに3体の敵影。
 雷蔵くんの反応から察するに、基地の装甲は先ほどの攻撃を何発も耐えられるというわけではなさそうだ。

「高槻さんは危ないから伏せてて」

 私はその指示に頷くことしかできなくて、部屋の隅っこで身を縮めた。しがみつく場所を椅子から柱に変えて、ぎゅっと目を瞑っているうちに、やってくる2度目の衝撃。

「――――ッ!」

 もはや、絶叫を奥歯で噛み殺すのが精一杯だった。しがみつく力を込めすぎて、療養中の右腕に痛みが走った。

 揺れが収まったのを見計らって、恐る恐る目を開ける。
 床に、投げ出された椅子と、配線の抜けた細かい機器類。視線をずらせば、モニターを見つめる2人の後ろ姿があって、私もへたり込んだ姿勢のままそれを見上げた。
 映像の中に後続の姿は、ない。
 最後に見た敵は3体だったはずだけど、衝撃は1度のみだった。ということは、残りの2体は撃墜されたのだろうか。

「高槻さん、ケガは……」

 振り返った雷蔵くんが言葉を詰まらせた。
 彼の見たものがなんとなく分かって、今度は自分自身の状態をひとつずつ確認する。
 計測器の表示は赤色になっていた。
 限界を超えた動揺が、生理的反応――激しい動悸、浅く荒い呼吸、手足の震え、滲み出る汗――となって、身体中いたるところに現れている。脚に力を入れてみるけど、うまく立ち上がることができない。俗にいう、腰が抜けてる、ってやつかも。

「……追撃がいつ来るか分からない。高槻さんも換装してシェルターに」

 そう判断したのは彼の優しさだろうか。それとも、単に使い物にならないと思われてしまったのだろうか。
 私は首を大きく振った。

「このまま。――今のうちに私のトリオン、少しでも基地にまわして。追撃があるなら、備えるために使ってほしい。2人の近くにいれるなら、私は大丈夫だから」

 先ほどの攻撃で、基地の外壁は大ダメージを受けたはずだ。修復に必要なトリオンは、迎撃でかなりの量を消費していた。
 どれだけ足しになるかは分からないけれど、今のこの心拍数なら、少しは役に立てるんじゃないだろうか。
 こういう場面でこそ使えなければ、私のSEなんて、ただの厄介なお荷物だ。

 冬島さんがなんとも言えない表情をしている。私があからさまに怯えているから、彼らも仕事を命じ辛いんだろう。
 しっかりしなきゃ。
 まだ頑張れるってアピールのために、無理矢理立ち上がる。
 目が合った雷蔵くんが、自嘲めいたため息をついた。

「なんか、今やっと諏訪が言ってた意味、分かった気がする」