2-5 侵入者
『基地内部に未識別のトリオン反応――人型です! 人型近界民侵入!』
侵入警報に次ぐ沢村さんの緊急アナウンス。非戦闘員であるエンジニアさんのひとりが、ヒッと声を上擦らせ椅子から飛び退く。
「人型!? 一体どこから」
『間違いない、ヤツだ』
風間くんの言葉で、私もようやく現況を理解する。
ボーダー最強クラスの攻撃手を破った人型近界民が、この基地内に……!
「侵入された区画は?」
「つ、通信室の壁が破壊されたようです」
「チッ。人の多い場所にピンポイントで……トリオンで探知されてるね」
「寺島!」
廊下をバタバタと駆ける音がして、扉が乱暴に開け放たれた。焦燥を浮かべた冬島さんが、研究室に飛び込んでくるなり声を張り上げる。
「おまえら今すぐ退避しろ、基地ん中に戦える戦闘員は冬島隊・三輪隊と風間隊しか残ってねえ。俺らが足止めしてるうちに従業員の避難を」
『いや、ヤツは今ここで倒す。――寺島』
通信越しでも鋭利な風間くんの声が、雷蔵くんを釘刺した。
『おまえの、緊急脱出もまともに機能しない旧トリガーで出ていったところで無駄死にするだけだ。自分の仕事をしろ』
「…………」
雷蔵くんの手に、少しデザインの違うトリガーが握りしめられていることに、そのとき初めて気がついた。咎められた彼は数秒目を伏せて、何かをこらえるように眉を寄せたあと、トリガーを手放しメインモニタに向き直る。
風間くんの指示はなおも続く。
『冬島さん、小佐野を隊室までワープさせられますか』
「そりゃあまあ……ってお前まさか」
『俺がここから諏訪隊を指揮します。 寺島、復元まであとどれだけかかる』
「焦らせないでよ。――ビルド完了、端末の方は?」
「こちらも準備できてます!」
「ん。それじゃ」
キーボードに添えられていた指が素早く盤面を弾いた。黒い画面に膨大な情報が溢れて流れ始める。
特殊な端子に繋げられたキューブが発光を強めた。
「無事帰ってきてよね、諏訪」
***
近界民の腹ん中で無数の触手がブッ刺さったとき、正しく死を予感した。
気を失うまでが一瞬で、走馬灯なんてもんを見る間もなかった。あっけねえ最期だと、自分を嘲ることすらできなかった。
その代わり、再び意識が浮上し始めてから身体が知覚を取り戻し、完全に覚醒するまでには幾分時間があった。重力も何も無い空間を漂いながら、俺は死んだのか? ――そう自問自答しながら、明確な後悔として心に宿ったのは、気持ちを告げずもう一度触れることが叶わなかった、あいつへの――……
「諏訪さん!」
最初に外界から入ってきた刺激は音だった。すぐ近くで反響する複数人の声。届いたその音に反応するように、脳が自分の質量と輪郭を思い出し、全身の神経が目覚める感覚。透けるまぶしさにまぶたを薄く開けると、ぼんやりとだが、こちらを覗き込んでいる人間の気配を捉えた。
「すわさん!」
「諏訪さん、良かった……! 身体動かせますか?」
次第にピントが合ってきた世界で、俺の両脇から身を乗り出した日佐人とおサノが、見開いた瞳を揺らしている。どこだ、ここ。やたら殺風景な空間に、耳障りなブザー音が絶えず響いている。仰向けに寝かされた背中の接地面に手を置くと、指に冷たく固い感触。緊急脱出用マットじゃねえな。
「日佐人、おサノ? 堤も……」
日佐人の後ろから堤がやってきて、俺の背中の浮いた隙間に腕を差し入れた。
「まったく、アンタは自分ばかり無茶をする」
力強く支えられながら上体を起こすと、そんな言葉が安堵のため息とともに寄せられた。説明を求めようと口を開きかけたが、正面に立っていた人物と目が合って、俺は言葉を飲み込んだ。
「高槻」
高槻は無言で、ただじっと俺を見つめている。感情の薄い顔つき……ああ、こいつ今トリオン体か。感情制御機能が働くと、強い衝動ほど強く抑え込まれて無感情になるらしい。まわりが大げさに泣いたり喜んだりしているせいで、何を考えてるかわからねえ真顔が異質だ。
「高槻?」
再び呼びかけると、そいつは俯きがちに俺の隣に移動してきた。何がしてえんだと伺っていたら、脈絡なく伸びてくる両腕。咄嗟に受け止めた重みと同時に、視界のほとんどが奪われる。
「むぐ!? ちょ……何!?」
気づけば、俺の顔面はそいつの鎖骨あたりに思いきり押し付けられていた。
こっちの混乱なんざお構いなしに、頭の後ろに回った腕がぎゅうぎゅうとさらに力を込めてくる。抱きつく、なんてかわいいもんじゃねえ、締め上げる、の図だ。てめ、トリオン体だぞ、力加減分かってんのか!?
宙に浮いた自分の手の所在をどうしていいか分からず、モゴモゴ言葉にならない抗議を続けていたら、「ちょっと」と呆れ調子の声が割り込んできた。
「悪いけど感動の再会は後回しね」
ようやく圧迫感が緩まって、解放された視界に現れたのは雷蔵だ。高槻に下がるよう促し、代わりに俺の真横に陣取ってジロジロと視線を這わせてくる。どいつもこいつもなんなんだ。
「諏訪、身体に異常は? 動かないとか、違和感あるとか」
「はあ? いやとくにねーけど……」
そう答えた瞬間、急に思考が過去を遡った。混濁した記憶が徐々に結びつき、整合し始める。俺が今なぜこんな場所に転がっているのか、意識を失う直前に何があったのか。
じわり、汗ばむ手のひらに視線を落とす。
「俺、たしかあの新型ヤローに」
「なるほど、記憶は問題ないみたいだね」
死んだ、と思った。
その瞬間の感覚が蘇り、ぞっと背筋に悪寒が走った。久しく感じていなかった純度の高い恐怖心が、冷たい手で心臓を鷲掴みにする。
決して油断したつもりはねえが、緊急脱出を過信しすぎていた。初見の敵に対してもっと警戒を抱くべきだった。一歩間違えりゃ、二度とこいつらと顔を合わせることができなかった。
どうやら俺は九死に一生を得たらしい。ガキどもが泣くわけだ。
「くそ、あれからどれだけ経って……つーか、この警報」
臆して身体が動かなくなっちまう前に、余計な感情を振り払おうと、俺は今この瞬間の状況整理に頭のリソースを振り切った。
さっきからビービーと鳴り止まねえ警報が、依然として有事の最中であることを知らしめている。ここ、基地ん中だよな? どうもあまりありがたくねえタイミングで叩き起こされたらしい。
『諏訪』
通信に乗ったふてぶてしいその声に、俺はすぐさま反応した。
「あ? 風間? おめーなんでオペ回線にいんだ、まさかやられたのか?」
『そんなことより仕事だ。基地内部に黒トリガーを所持した敵が侵入し暴れている。とっとと制圧するぞ』
「ブラッ……はああ!? 」
淡々とした口調と深刻さが噛み合っておらず、理解が追いつくまで数秒。愕然とした気持ちをぶつける相手が目の前にいねえと、思わず天井に向かって哮り立つ。
なんっだそりゃ! おもくそ緊急事態じゃねーか!
「んな悠長に屯ってる場合か! 被害状況は?」
寝かされていた台から飛び降り、素早く自分の身体の状態を確認する。神経伝達良好。欠損、トリオン漏れなし。戦線復帰にゃ全く問題ねえ。
『通信室がやられた。ヤツは今その付近で足止めされているが、次はそちらに向かうはずだ』
「その根拠は」
『トリオン反応の強い場所が狙われている』
反射的に振り向いた先で、高槻がわずかに動揺を滲ませた。今の説明で察したのだろう、敵が自分を目掛けて来るということに。
俺の中にも焦りが生じる。ヤツらの目的はトリオン能力の高い人間の拉致だ。もしも俺がその黒トリガーとやらを止められず、こいつが見つかっちまったら。んでもってSEの性質に気付かれでもしたら、こいつは――。
「彼女のことはオレが責任持つよ」
俺の表情から考えを読んだ雷蔵が、面倒臭そうな口ぶりで言い放った。
「もともとそういう約束だったしね。じゃなきゃ、生身の高槻さんを作戦になんか加わらせらんないって諏訪がわめくから」
「おまっ、いらんこと言ってんじゃ」
「そういうわけだから、そっちは任せた。復帰早々で悪いけど、この状況、諏訪隊・風間隊が出るほかないっぽい」
行った行った、と手を払うヤツに恨めしさを込めて睨みを効かせる。勝手なこと言いやがってと噛みつきてえのは山々だが、そんな猶予はない。癪に触るが、こいつの実力や判断力を見込んで高槻の身の安全を託したのも事実だ。
「話はまとまったかー?」
部屋の扉が開いて、冬島のおっさんが上半身を覗かせた。通信経由で会話を傍聴していたらしい。
「なんだ諏訪、全然ピンピンしてやがるな。悪運の強いヤツだぜ」
「ぬかせ」
「そんじゃ、1人ずつ敵地に送り込んでやるよ。おサノちゃんは諏訪隊室、野郎どもは訓練室の手前な。準備はいいか?」
訓練室? いやに具体的な座標指定に首を捻るが、風間が何か考えてんだろう。説明は道中で。いつものこった。
俺は自隊の連中に向き直った。さっきまで半べそだったヤツらも、しっかりと気を持ち直して俺の目配せに頷いてみせる。おーおー、頼もしい連中だぜ。
利き手側のトリガーを起動し、手にした散弾銃をバットのように担ぐ。
「ハッ。A級3位様と共闘たァ光栄だぜ。やられた分、数倍にして返してやろうぜ、風間」
『当然だ』
おっさんが起動したマーカーを踏んで、まずおサノが転移した。それからワープ地点を設定し直し、日佐人、堤、と順を待つ間、俺は密かに踵を返した。
「バカ、なんつー顔してんだ」
拳を固く握り込んだ高槻が、眉間にシワの寄った複雑な顔でこちらを見ている。
「……諏訪……」
絞り出すように俺の名を呼んで、それきり口をつぐんでしまった。
こいつともそれなりの付き合いだ。こういう時、何を思うかはだいたい想像がつく。
「おめーの文句も、泣き言も、戻ったらいくらでも聞いてやる。だから無茶だけはすんなよ」
「それってこっちのセリフ、なんだけど」
諏訪――誰ともなく催促され、一抹の名残惜しさを感じながら、絡んでいた視線を外した。不安がっているあいつの側を離れる心置きはあるが、ただ側にいるだけで何も出来なかった頃に比べりゃ、少しはあいつの助けになってやれんだろ、今ならばそう思える。
ワープした先は細い廊下の一角だった。視覚情報にマップが追加され、その上を移動する点がある。これが敵サンの現在位置ってことだろう。
『この先、マーキング位置に敵を誘導している。接触したらそこから訓練室までおびき寄せろ』
「諏訪、了解」
作戦地点へと走る傍ら、連れ立っている堤が気がかりそうに声を上げた。
「諏訪さん、本当にどこもなんともないんですね? もし不調を隠しているんだったら」
隠すも何も、本当に何事もなかったかのように問題なく動く自分の身体を改めて見る。俺としちゃできねえことをできるとは言わねえ主義なのだが、どうもこの後輩には信用がないらしい。曰く、無茶を無茶として自覚してないやつの言い分は当てにならない、だそうだ。
何と言うべきか、俺は少し考えてこう答えた。
「目覚めて早々、あんな熱烈歓迎受けたからな。むしろ漲ってっわ」
「……それは……さぞかし絶好調でしょうね」
一応それで納得したらしい。苦笑を漏らしながら大人しく引き下がる。
一方で、今度は反対を走る日佐人が不思議そうに覗き込んできた。
「高槻さん、あのときトリオン体でしたよね。SEの効果発動してたんですか?」
純粋な目でとんちんかんなことをぬかす16歳に、俺も堤も毒気を抜かれた。真面目だなァ、おめーは。俗っぽい話を振っちまったこっちが恥ずかしいわ。
「SEなんざなくても」
言いながら、あいつにしがみつかれた時を思い返す。本気で俺を心配して、本気で恐怖したからこそであろうあの行動に、俺は罪悪感を抱くべきだったのに、本音は嬉しかったのだ。
あの瞬間、俺はこいつのために生きていたいと、確かにそう感じさせられた。
「好きなやつに触れられりゃ、やる気にバフくれえかかんだろ」
男が単純な生き物だという通説には、残念ながら同意せざるを得ない。本気で惚れた女が相手ならなおさらな。
俺の言葉に耳まで赤くする日佐人を見て、堪えきれずに吹き出す。からかいすぎたか? そう思うと同時に繋がる通信。
『フゥー、すわさん、言うねえ』
「は、おサノ? おめーなんで、通信は切ってただろ」
『日佐人の外音マイク入ってたよん』
「だーっ! クソ、忘れろ!」
しょうもないやり取りをしている間にも、敵は足止めの罠をすり抜けてこちらへ向かって来る。交戦まであと数秒ってとこか。人が逃げまどう足音がすぐ近くで聞こえる。
あいつのためにも、この先へ通すわけにはいかねえ。
トリガーに引っかけた人差し指に神経を注ぎながら、風間の合図を皮切りに、俺らはまだ見ぬ敵の横腹へと躍り出た。