SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

2-7 言い逃れできない(第2部完)

 数時間ぶりに光の差した空を見上げて、張り詰めていた気持ちが解放されたように全身から力が抜け、その場に膝をついた。
 吹きざらしの屋上で、冷たい空気が髪を巻き上げる。あたりに漂う焼け焦げた匂い。なんだか急に五感が戻ってきたみたいだ。
 しばらくして、司令室からのアナウンスが、敵勢力の撤退を報じた。

 ゲートが閉じても、すぐに気が休まるわけじゃなかった。
 諏訪を含む戦闘員たちは残敵掃討に駆り出されていったし、避難市民の誘導、怪我人の救護、崩壊した設備の応急処置と、ボーダーの仕事は山積みだ。
 キューブ化したC級隊員たちも続々回収されてきた。私は私なりに仕事を探して、開発室を走り回っていた。
 ようやくひと段落した頃にはすっかり日が落ちていて、例の戦闘についてもろもろ報告義務はあったものの、今日のところは帰宅が許された。「絶対忍田さんのお説教が待ってるから」と雷蔵くんに脅されたけれど、風間くんは慣れた様子で受け流していた。

 私はその足で、再び屋上へと赴いた。部屋に戻っても、どうせ鬱々と考え込んでしまって休めない。かと言って、まだ忙しく働いている人のいるラウンジでぼうっとするのも忍びないし、それならば少し頭を冷やそうと思ったのだ。
 トリガーに反応して重い扉が開くと、途端に冷気に包まれた。換装体と生身ではやっぱり気温の感じ方が全然違う。コートを首まで締めて、息を白く染めながら外に出た。
 基地を中心に、人の立ち入らない警戒区域には灯りがほとんどない。屋上には一定の間隔で足元灯があるので、真っ暗闇というほどではないにしろ、あまり縁に近づくと危ないかもしれない。
 その代わり、晴れ渡った冬空は星が綺麗に見えた。遠くの夜景と星々が混じり合い、境界線が繋がって、まるで宇宙が地上に降りてきたみたいにキラキラだ。

(昼間と景色が全然違う)

 思わずそんな感想を抱いたけれど、壁や床の一部は崩れて、弾痕がいくつも残っている。先ほどの戦闘が夢じゃない証。あの時の記憶はしっかりと残っているのに、どこか自分ごととして実感がないというか、敵を撃った感触が徐々に薄れていくのが、少し怖いなと思った。

 人型近界民による被害で、オペレーターの何人かが亡くなったらしい。
 回収できたキューブはすべて復元できたけれど、それでも行方不明の隊員は、近界に攫われてしまったのだという。
 入隊して日の浅い私には、その中に顔見知りと言える人はいなかった。けれど、周りの人たちが、涙ぐんだり黙祷しているところは何度か見かけた。
 もし私がボーダー関係者でなければ、この事実を明日のニュースで知ったんだろう。死者が何名、行方不明者が何名といった数字上の事実だけ。多少は心を痛めただろうけれど、きっと、一人ひとりに思いを馳せることはしなかった。私ですら今こんな気持ちなのだ。彼らの生命いのちに責任を負っていた人たちは、今日をどうやって乗り越えていくんだろう。
 そして、次は自分や自分の親しい人がそうなるかも知れないと、生々しく実感した人たちは、明日からの生き方をどう変えていくんだろう。

「んなとこにいたかよ」

 シュン、と自動ドアが反応する音がして、驚いて振り返ったら、見慣れた金髪が現れた。
 目が合った諏訪は、夜風に当てられてぶるりと身を震わせる。

「寒ッ! おめーなァ、たそがれるにしても、季節考えろ。さすがに風邪引くだろ。つーか、ケータイくらい見ろ」

 言われて、しばらくポケットに入れっぱなしだったスマホの存在を思い出す。暗闇の中で光る画面には「どこにいる?」という短いメッセージ通知と、2件の不在着信が届いていた。
 普通、屋上にまで探しに来ないと思うのだけれど。こういう時、私の思考回路なんて簡単に当ててしまうのが諏訪洸太郎というやつだ。

「諏訪、ちゃんと検査してもらった?」
「おー。まいったぜ、脳波やらMRIやら、いろんなモンに繋げられてよ。まあ、俺の身体は貴重なサンプルだからな。後に復元するやつらのために仕方ねーけど」

 雷蔵くんが強引に検査を推し進めたのは、絶対それだけのためじゃない……そう言おうと思ったけど、やめた。たぶん本当は諏訪も分かってるだろうから。照れて言わないだけで。

「しけた面してんなよ。ちゃんと無事でいんだろ。……な?」

 ほれ、と両手を広げてアピールされる。そういうことじゃないのに、といじけてしまった私は、素直になれず、口を引き結んで俯いてしまう。
 黙っていると、横に伸ばされた腕は諦めたように落下して、やがて上着のポケットへと仕舞われていった。

「諏訪が」

 ぽつりと発した声は、喉の奥で少し掠れて、消え入りそうなくらい小さかった。んんっと軽く咳払いして口を湿らす。諏訪は少し距離を保ったところで黙ってこちらを見ている。

「諏訪が、なんで私をボーダーに隠してたのか、ずっと疑問だったの。……今日、ちょっとだけ理解できた。ここにいる人たちの背負っているものとか」

 戦争に参加するということは、自分が傷ついたり、生命をかければ良いというものじゃなかった。
 自分の弱さが、誰かを殺すかもしれない。
 守りたいものが、目の前で奪われるかもしれない。
 助けが必要な人を、助けに行けないかもしれない。
 そういうのをひっくるめて覚悟なんだ。

「私には、荷が重いって思ったんだよね?」

 SE能力者わたしに求められる役割は、たぶん他の人とは性質が違う。私にしかできない役割がある。それは、私にだけのしかかる責任がある、ということだ。
 自分のことすら満足にできなくて、いつも諏訪に助けてもらうばっかりで。そんな私が、たくさんの生命に関わる重圧を背負えるわけない。
 優しい諏訪が、そう考えたとしても無理はない。
 確信的に投げかけて、諏訪の顔を見る。反応を伺うつもりだったのだけれど、諏訪は表情を変えなかった。一見鋭いけれど、私にとっては安心さえ感じるいつもの眼差しで、じっと見つめられる。

「逃げたくなったか?」
「え?」
「……俺はいまだに、おめーをボーダーここに巻き込んだのが本当に正解だったのか、自信がねー。ここにいる以上、どうしたって戦場にや駆り出されるし、人の生き死にだって、これから何度でも目にする可能性がある。場合によっちゃ個人の安全よりも、任務が優先されることもある。俺はまた、作戦のためにおめーを敵の前に放り出すかもしんねえ」

 はあ、と諏訪が吐いた息が白く曇って、溶けていった。言葉にしづらそうに、ポケットから出した右手で頭を押さえて、視線を落とす。

「おめーが逃げてえっつーなら、俺は」

 2歩。3歩。私は諏訪に近づいて、その手にそっと触れた。諏訪がぎょっとするのも構わず、両手で包み込んだ彼の右手を下ろす。開いた手のひらは、指先まで小刻みに震えていた。

「な……」

 諏訪は自覚が無かったんだろう。自分の手の震えを見て愕然としていた。
 今日、本当に怖い思いをしたのがどっちだったのか、私は分かってるつもりだ。自分自身、死にかけて。敵とはいえ、人が殺される瞬間を目の当たりにして。自分が一度やられた強敵の前に、仲間の生命を預かりながら立っていた。諏訪のことだから、自分の感情なんて見ないふりを決め込んで、今まで踏ん張っていたんだろう。
 少し冷たくなってしまっているその手が切なくて、ぎゅっと握りしめる。

「強くなりたい」

 言葉とは裏腹に、頼りない声。情け無いなあ。

「諏訪、今日戦ってるとき、ずっとヒヤヒヤしてたでしょ。それって私が弱いからだ。助けに行きたかったのに、全然カッコつかなかったよ」

 例えば私が、風間くん……とまではいかなくても、例えば、日佐人くんくらい強かったら、心強いって思ってもらえたかも知れない。
 諏訪にとって私は保護対象なのだ。私も諏訪を守りたいけれど、今の立場じゃそんなこと口にできない。だから。

「だから、強くなりたい。諏訪が私のことを気にせず戦えるように。諏訪が危なくなっても、私が助けに行けるって、自信を持って送り出せるように。諏訪が……もしもこの先、戦いから逃げたくなっても……」

 私のことが、足枷にならないように。

 ──本当は、その時は私も一緒に連れて逃げることを選んで欲しいけれど。
 自分にとって一番都合の良い願望は言えなかった。諏訪の負担が少しでも軽くなればいいって思うのに、そんなの、重いから。
 どちらにしても、弱いままの私じゃ叶わない。

「私が逃げるのはもっと後で考えるよ」

 思いのほか本心から笑ってみせられた。
 明日から、自分にできることを増やせるように考えてみよう。訓練ももっと頑張ろう。私、ボーダーに来れて良かったって思ってる。それを諏訪に証明したい。

 反応を待ってみたけれど、諏訪は黙りこくったままだ。突然こんなこと言って困らせてしまっただろうか。もしくは、自意識過剰だったとか……? どうしよう、今から弁明するとしたら、なんて言えば。
 静寂が続くに従って、段々と弱腰になっていく気持ち。勝手に手を握り続けていたことに今さら気付き、慌てて離す。恥ずかしい……! あくまで友人としての立場で言ったつもりだけれど、もしかしてほとんど告白みたいに受け取られてしまったんじゃ。
 顔に熱が集まるのを感じて、ハッとする。こんなに動揺して、心拍数が上がっているはず。意識すればするほど苦しくなる左胸。ダメ、今SEが発動したら、諏訪に気持ちがバレちゃう──

「諏訪、そろそろ中に」

 さりげなく距離を取ろうとしたら、突然手首を掴まれ、阻まれた。
 びっくりして、反射的に目線を上げる。思わぬ近さで目が合って、思考が止まる。
 諏訪の方も一瞬目を見開いて、それから、戸惑うようにくしゃりとシワが寄った。諏訪のそんな場面一度も見たことがないのに、どうしてか、今にも泣き出しそうな顔だと思った。

「俺はなんで、お前を手離せたんだろうな」
「す……」

 掴まれた腕が引かれて。
 視界に何も映らなくなって。
 空気の冷たさが遮断され、身動きができなくて、ほろ苦いタバコの余韻が鼻腔に入り込んだ。
 諏訪の腕の中にいる。麻痺した脳が、何テンポも遅れてその事実を言語化したとき、私の後に回った大きな手が、不器用に私を引き寄せた。
 力強いというよりは、ぎこちない抱擁。

 頭の中は真っ白なのに、これが良くないことだということだけは、妙にはっきりと理解していた。だって、痛いくらいに自分の鼓動がうるさい。計測器を見るまでもなく、心拍数は基準レベル以上だ。この状態で無許可に隊員に触れたら、ボーダーとの契約違反になってしまう。

(換装……)

 かろうじて冷静な部分はそこまで思い当たっていながら、どうしても口を開くことができなかった。
 私を包み込むこの柔らかな温もりも、匂いも、すぐそこで感じる息づかいも、生身でなかったことを言い訳にまた“ノーカン”にしてしまうのだろうか。

 嫌だよ……。

 本当はずっとこうして触れたかった。また諏訪と気兼ねなく会えるようになって、会うたび、言葉を交わすたびに、募る気持ちを無視できなくなってた。思い出の中じゃない、今の貴方を知りたかった。それが叶おうとしているのに、拒絶なんてできるわけない。
 私の中から、諏訪以外の全部が消えていく。

 迷いを打ち消すように、私のほうが強く諏訪を抱きしめ返した。精一杯腕を伸ばして、全身を押し付けるように力を込める。
 こうして諏訪に応えることで、諏訪の不安も消えてしまえばいい。そんな願いが届いたのか、辿々しかった抱擁も、徐々に深く絡み合うものになっていった。

 諏訪を忘れるために費やした2年間の努力は、この瞬間に全部上書きされてしまった。

 肩に擦り寄るようにして頬を押し付けていると、大きな手が後頭部を梳いた。ゆっくりと顔を上げる。心許ない照明が、背後から諏訪の髪を金色に縁取っている。
 鳴り止まない心臓。諏訪はどうだろう。分厚いジャケットに阻まれて、直接確認できないのがもどかしいな……。

 そうして、私たちは今度こそ
 言い逃れのできないキスをした。