SEを自覚せずに生きている夢主と同級生すわ

3-1 自制

 中央棟1階、共用ラウンジ。2-3限をまたぐこの時間帯はいつも、待ち合わせだったり、学食を利用する学生の群れで賑わっている。
 喧騒に混じり、少し離れたところから聞き馴染みのある声を耳が拾う。

「麻衣!」

 人混みを縫うようにやってくる友人の姿を見つけて、私も手を振って存在を示した。

「アンタ、もう大丈夫なの? あれ以来全然大学にも来てないみたいじゃない。メッセもまともに返さないし、どうなってるわけ?」

 挨拶もそこそこ、待ち兼ねたように説明を求められ、思わず苦笑で濁す。責めるような口調は心配の裏返しだって分かるけれど、あいにくあまり言えることがないのだ。
 入院に冬休み、自主欠席と続いて、1ヶ月半ほど大学に来れていなかった。
 この子と最後に会ったのは、イレギュラーゲート事件後の病院ってことになる。ただし、そのことをどこまで彼女が覚えているかは定かじゃない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅

「あー、なんか、いろいろあって。心配かけてごめんね。ノートありがと、おかげで課題提出しそびれずに済んだよ」
「……まあ、無事ならいいんだけどさあ」

 不審を抱かせたまま話題を強制終了したことに、心の中でもう一度謝りつつ、私自身も彼女の無事を確認できたことに安堵した。
 近界民に飲み込まれた後遺症などは残らなかったそうだ。外傷だけでなく、精神的な部分でも。

 愛され女子は今日も完璧なコーディネート。真新しいブーツは、あの日と同じ7cmピンヒール﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅
 忘れられるなら、忘れた方がいい記憶だってある。

「ま、いいや。今日はあたし、親子丼の気分で――」

「おー、麻衣じゃん、久しぶりー!」

 不意に飛んできた呼び声に、声の主が誰かを考えるより前に、反射的に振り向いてしまった。
 振り向きながら、あ、ちょっとめんどくさいかも、と思い至ったけれど、もう遅い。人好きのする笑顔を振りまくその人物は、もう目の前まで歩み寄って来ている。

「誰?」
「元彼」

 小声で端的に交わされる会話。
 友人が露骨に顔を歪める。まあ、分かるけれど、できれば本人にその顔は向けないでほしいな。初対面のマナーとして。

「なんか入院してたんだって? 大変じゃんね、もう学校来れるの?」
「昨日から復帰してるよ。全然へーき、ありがとう」

 入院していたことを知っていたわりに、一度もメッセージの類いはもらっていない。彼とのやりとりは『やっぱ別れよう』『わかった』以降更新されていないのだ。
 そのことがすっぽり頭から抜けているのか、なかったことにされているのかは知らないけれど、向こうから話しかけてくるとは思わなかった。
 話し込む気はなかったので、それだけ言って方向転換しようとしたら、すかさず「待って」と引き止められる。

「なーお前、合コン興味ない?」
「合コン?」
「そー、来週の金曜なんだけどさあ。人集めてるとこだしちょうどいいや。俺の友達が、麻衣に興味あるって。どう?」

 どう、と言われましても。
 隣から殺気じみた気配を感じる。あまり気の長くない彼女がいつ爆発してしまうかと内心ハラハラしながら、どう返事をしたものか考える。
 どちらかというと、この友人の方が正しい反応な気がする。
 他人に怒りを向けるのが苦手な私は、世間的には〝いい子〟に分類されるのだろうけれど、得てして舐められがちなのだ。こんな人でも、いつか好きになれるかも、なんてあのときは思っていたわけだし。以前の私なら、この手の誘いも断るのが面倒くさくて了承していた可能性すらある。
 今となってはそういうわけにいかない。角を立てずに断るって、どういう風に言ったらいいのだろう。

「話し中のとこ悪ィんだけどよ」

 勝手に話を進めようとする元彼の言葉を遮って、またしても第三者の声が飛んできた。
 目の前の男は、それまでの機嫌良さそうな笑顔を消して、は? という顔つきで私の真後ろを見上げている。
 面白いことに、友人もまったく同じ顔で同じ方向を見ていた。
 奇跡的にシンクロしたふたりの視線に沿って振り返ったら、声がした瞬間に思い描いた顔がそこにあった。

「諏訪」

 諏訪は私と対峙する男とを見比べると、小さく嘆息した。
 アウターを着込んで、リュックを肩にひっかけている。今日は午後シフトだったはずだから、大学を出ようとしたところでたまたまこの状況に出くわしたのだろう。
 声をかけてもらえたのは嬉しいけれど、あまり見られたくないシチュエーションだったことを思い出して、気まずい。

 元彼の方は明らかにたじろいでいた。諏訪の柄の悪さに加え、彼は自分の背が低いのをコンプレックスに思っていたから、ガタイの良い人間相手に強く出られないのだ。

「来週末っつったか? 高槻、その日俺らの方の飲み会にも誘われてたろ。先約があること忘れてんじゃねえぞ」
「……うん、忘れてないよ。ちょうど今、こっちのお誘いは断ろうとしてたところ」

 そんな約束は当然なかったのだけれど、咄嗟に話を合わせることにする。
 さすがは諏訪。私が上手く切り返せないのを見かねて、助け舟をくれたらしい。

「そういうわけだから、ごめんね、他あたって」
「え……あ、じゃあさ、俺が今度そいつ誘うから、良かったらランチとか」
「なあ、いい加減、引き際ってやつをわきまえねえか?」

 なおも食い下がろうとする男の前に、さりげなく諏訪が割り込んだ。
 金髪の強面に見下される形になり、叱られた小型犬のように、思い切りひきつる顔。

「外野が言うことでもねーけどよお。こいつ明らかに困ってんだろ。あんまりしつこいのはさすがに見過ごせねえぜ」
「なっ! 俺は別に困らせてなんか」
「だとよ。高槻、おめーこの会話続ける気ある?」

 私が黙って首を振ったら、男はプライドをへし折られたように愕然と表情を崩した。

「ッ……! そーかよ、二度と誘わねえよ!」

 捨て台詞とともに大股で去っていく後ろ姿を見送って、密かに関心する。
 なるほど。この場合、別に角を立てても問題なかったのか。

「余計な世話だったか?」
「ううん、助かった、とても」
「そうか。ところでおめーの友達、どっか行っちまったけど、追わなくていいの?」
「え?」

 言われて見れば、さっきまで隣りにいたはずの友人の姿がない。
 まわりを探していると、ポケットの中のスマホがブルっと震えて通知した。

『先行って席取っておくから、ごゆっくり。後でどういうことか説明しなさいよ!』

 ……しまった。これは逃げられそうにない。
 余計な心配と好奇心を掻き立てないようにと、彼女にはボーダー入隊のことも何も話していないのだ。
 諏訪とこうなった経緯を、当たり障りなく説明できる気がしなくて、今度は別の面倒事に頭を悩ませることになった。

「あー……その、勘違いだったらアレなんだけどよ。あれ、おめーの彼氏だったり?」

 どういう勘が働いたのか、はたまた事前情報があったのか、あまり認めたくない事実を他ならぬ諏訪に指摘されてしまった。
 知られたくなかったけれど、嘘も付きたくない。返答に詰まりながらも正直に打ち明ける。

「元だよ。とっくに別れたもん」
「ハァ!? まじでか。仮にも元カノをてめえのダチに斡旋するとか、噂以上のクソヤ――っと、悪い」
「いい。そういう人だって知ってて付き合ったし、軽く扱われるのも私の態度のせいだって、分かってるの」
「……まだ、好きなのかよ? あいつのこと」

 一瞬、何を問われたか分からずに、頭が真っ白になった。

 両目を瞬かせながら諏訪を見る。
 あの人のことを、好きになろうと努力したことはあっても、好きだと実感できたタイミングは一度もない。
 それどころか、この2年間、私に新たな恋心を抱かせる人間はついに現れなかった。かつて想っていたのと同じ人を、もう一度好きになるまでは。

 伝わっていると思っていた。
 当の本人にそんなことを言われて、悲しいのかと思ったけれど、ふつふつ沸いてくるこの感情はきっと怒りだ。
 あの屋上での出来事、こいつは何だと思っていたの?
 私が、あんなに感情をぶつける相手が、貴方以外にいるとでも?

 そんな不満が、全部表に出ていたのだと思う。
 私の目を見るなり、諏訪はすぐさま失態に気付いた顔になって、慌てて弁解を始めた。

「〰〰〰悪い! 今のはさすがに俺が悪かった! 俺が、クソダセエ予防線張ろうとしただけだ。わーってっから、ホント」
「……分かってない。諏訪のばか」
「あ゛ーっ、頼むから落ち着け、な?」

 そっぽを向いたのは意地悪心だったけれど、ちょっと本当にショックが尾を引いて、鼻の奥をツンとした刺激が通り抜けた。
 こんな往来で泣いてしまうのは私も不本意だから、目頭に精一杯力を込めて耐える。諏訪は目敏く気付いているのだろう、本格的に焦っている。
 狼狽えた瞳があたりを気にしている。人目を憚って言葉を選んでいるのか、ワントーン調子を落として、弁解が続く。

「頼む。もうちょいだけ、待って。おめーとのことは、俺がぜってーなんとかする」
「…………?」

 諏訪が何を言いたいのかは、正直よく分からなかった。
 ただ、そろそろ行かせないと堤くんを待ちぼうけさせそうだなと思ったのと、あまりにも必死に懇願しているように見えたので、勢いに流されて頷いてしまった。

 まだ何か言いたそうにはしていたけれど、時間には逆らえない。しぶしぶその場を立ち去る諏訪を、私はしばらく目で追っていた。

 
 あのキスの日以降、諏訪との関係が変わったのかというと、それは微妙なところだった。
 私は気持ちを隠すことを諦めたけれど、あいつに何かを求めたりはしていない。

 実際難しい問題だった。
 私には簡単に他人と触れ合えない体質に加えて、ボーダーとの契約もある。世間一般でいう〝恋人〟になるには、パートナーのリスクとハードルが高すぎるのだ。
 自分の境遇を理解した日、それはとっくに覚悟していたので、蒸し返すつもりもない。

 ただ、あの日の夜だけは、自室に帰って、初めて自分の体質を呪って泣いた。
 それくらい幸せな時間だった。
 好きな人との距離がなくなることが、こんなに幸せなんだって、忘れたままでいた方がいっそ楽だったかもしれない。

 とはいえ、今の自分が不幸ということでもない。
 大規模侵攻を経て、強くなろうって決意も新たに生まれた。この能力だって、上手く活かして共存するしかない。

 ……諏訪への恋心は、いつか清算しなきゃいけない日が来るのかもしれないけれど。

 今はまだ、想うことを許してもらえている。
 そう感じられるだけで充分だ。